広島商業高校、広島新庄高校を甲子園へ導いた、広島の高校野球界の名将・迫田守昭監督。2022年から率いるのは県内でも無名の、福山市立福山高校野球部。本来の高校野球の姿を求める迫田監督の指導方法、そして監督論を伺った。

迫田監督は、選手たちへアドバイスはするが、技術的な細かい指導はほとんどしないという。

◆高校野球本来の姿があります

――野球経験の少ない選手たちを指導しながら、甲子園へ向けて一歩ずつですね。

「福山高校の監督のお話をいただいてから赴任するまでの間に、いろいろな中学校へ見学に行って、学校を通じて有望な選手に声を掛けさせてもらいました。すると20人以上が、福山高校の入学試験を受けてくれました。けれど数人しか試験をパスできなくてね。こればかりは、どうしようもないですからね。野球部に入らない他の生徒と同じように、きちんと入学試験に合格した子に野球部に入ってもらいます」

「ちょうど今日は、合格発表の日なのですが、今年は一体何人が野球部に入ってくれるかもはっきりとわかりません。ですから、野球部に入ってくれたからには、我々が彼らをしっかりと理解し、指導させていただかなければいけません。責任が重いなと感じています。この学校は勉強も非常に大切にしていますから、宿題も毎日たくさん出ますし、授業も厳しいです。まず勉強があって、その次に野球を一生懸命向き合うという高校野球本来の姿があります」

「その上で強さを求めていくという形になると思いますから、強豪校と呼ばれるようになるまでには時間がかかると思います。ですが、勉強を頑張る子たちは理解力が非常に高いのです。例えば同じ話をしてもすぐに理解できる者と、そうでない者がいますが、野球に対する考え方や理解度は、うちの生徒はやはり非常に高く、とても早いのです。それは成長を促す大きな武器になると思います」

――実際に指導されてきて、手応えを感じていますか?

「スタート当初は、技術力も厳しい状況だなと思っていました。でも彼らは、自分たちで考えて練習を重ねてくれますので、レベル的にも随分と上がり、成長したなと思います。それは試合に勝てるかどうかというのは別の話ですけどね」

「現在部員は一年生が20人、二年生が3人ですから、一年生主体のチームです。まだまだではありますが、みんな非常に力をつけてきましたので、楽しみにしているところです」

(連載第1回目はこちらから)

迫田守昭
1945年9月24日生、広島県出身。広島商高、慶応大、三菱重工広島と選手としてプレーし、1976に三菱重工広島の監督に就任。2000年に広島商の監督として春1回、夏1回の甲子園へと導く。2007年秋からは広島新庄高の監督となり、県北の無名校を強豪校へと育て上げた。2022年4月からは市立福山高の監督に就任。選手たちとともに、今も汗を流す。

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