ブレイクを果たした髙橋慶彦と二遊間コンビを組んだ木下氏。打ってはつなぎ役としてだけではなく、盗塁王の髙橋に次ぐ25盗塁をマークした。

◆古葉野球の集大成が見えたシーズン

 無死満塁という痺れる場面を凌ぎきり、3時間29分に及ぶ熱戦に終止符を打った。これによりカープが球団創立30年目にして初の日本一を達成。4年前は0勝4敗2分で阪急に敗れ去ったが、古葉政権の下で選手たちは着実に逞しさを増していた。

「思えば当時は浩二さん、衣笠さん、水沼さん、水谷実雄さんなど主力選手が脂が乗り切っていた時期でしたし、投手陣にしても江夏さんや金田留広さんなど経験豊富な投手が加入したことで落ち着きが生まれ、北別府学や山根和夫ら若手が台頭するなど、若手とベテランが入り混じるバランスがとれた布陣だったように思います。古葉監督就任5年目ということもあり、選手一人ひとりに古葉監督の目指す野球が染み渡り、まさにあの頃は古葉野球の集大成とも言える野球ができていたのではないかと思っています」

 数年前まではBクラスが定位置だったチームが、75年の初優勝を機に完全に生まれ変わった。古葉監督が就任してからの5年間でBクラスは一度だけ。1979年の日本一を皮切りに、カープが第一次黄金期を築いていった。

木下富雄(きのした・とみお) 1951年5月7日生、埼玉県出身
73年ドラフト1位で広島入団。当初はショートを守っていたが、初優勝以降は主に二塁手として存在感を発揮した、カープ黄金時代の名ユーティリティープレーヤー。若手時代は先輩である三村敏之とコンビを組み、中堅となってからは髙橋慶彦との二遊間コンビとして活躍し、数多くの優勝に貢献した。現在は広島市内にある居酒屋『カープ鳥 きのした』を営んでいる。