2023年の交流戦も開幕し、ますます熱を帯びてきた今シーズンのプロ野球。現在の4番にはアベレージヒッターのマクブルームが座っているが、ファンとしては1本でも多くの4番のホームランが見たいのも正直な心境。そこで、これまでカープ打線の中軸として活躍した『4番打者』を、世代を代表する選手を中心に振り返ってみよう。チームを勝利に導く一打を数多く放ってきた強打者たちの、カープの歴史に息づくエピソードとともに紹介していこう(2022年掲載記事を再編集)。

カープの4番を担った一人、鈴木誠也。2022年からメジャー挑戦をし、カブスの中心選手として活躍中だ。

◆カープ黄金期を象徴する『鉄人』|衣笠祥雄

 カープに捕手として入団するも4年目に内野手に転向。1970年代前半には主に4番を担い、山本浩二とともに打線を牽引した。チームが4度目のリーグ優勝を果たした1984年には、打点王とMVPに輝く活躍で日本一に貢献。1970年から現役引退する1987年にかけ、2215試合出場の大記録を打ち立てた。『鉄人』の愛称で親しまれ、たとえ満身創痍でも、常にフルスイングを心がける姿勢はファンの記憶に刻まれている。背番号『3』は、球団2人目の永久欠番となった。

【データ】1965年〜1987年
2677試合 打率.270 2543安打 504本塁打 1448打点(通算成績)
4番での出場数/560試合

歴史に名を刻む『ミスター赤ヘル』|山本浩二

 広島県出身。1969年にドラフト1位でカープに入団。1975年には打率.319で首位打者に輝き、悲願の初優勝に貢献。MVPにも選ばれる活躍をみせた。以降は、現役を引退する40歳まで4番として君臨し続け、本塁打王4度、打点王3度、MVPに2度輝き、通算2339安打、歴代4位となる536本塁打を記録した。1991年には監督としてリーグ優勝を達成。背番号『8』は球団初の永久欠番となり、『ミスター赤ヘル』の名と共にファンに愛され続けている。

【データ】1969年〜1986年
2284試合 打率.290 2339安打 536本塁打 1475打点(通算成績)
4番での出場数/1310試合

伝説の一打を放った『赤ヘルの若大将』|小早川毅彦

 PL学園高、法大と名門校を経て、ドラフト2位指名で地元・広島に帰ってきた。ポスト山本浩二の期待を背負い、プロ1年目からクリーンアップを任されると、16本塁打を放つ活躍で、球団初の野手新人王に輝いた。『赤ヘルの若大将』として、衣笠祥雄と山本浩二が引退したあとのカープ打線の中軸を担い、1987年、巨人との一戦で放った逆転サヨナラ本塁打は、江川卓を引退に追い込む一打となった。江川に引導を渡した劇的打は、プロ野球ファンの間で伝説となっている。

【データ】1984年〜1996年
1431試合 打率.273 1093安打 171本塁打 626打点(通算成績)
4番での出場数/351試合(カープ在籍時)