チャンピオンシップ初出場を決めた2022-23シーズン。創設からわずか9シーズン、あと少しで頂点に手が届くところまで昇り詰めた。これだけの短期間で強くなり、数々の記録を残してきた広島ドラゴンフライズを経営する広島ドラゴンフライズ取締役社長・浦 伸嘉。彼の思い描く広島らしさ溢れるチームづくりとは!?

「応援してくれる人たちに喜んでもらうことが、プロとして一番の役割」と語る。

◆「プロとして、競技大会から興行への転換が僕の考えだった」

—プロバスケットボールの試合はエンタメ性が高いと言われていますが、そういった点でも広島らしさを意識されていると?

 「私が広島ドラゴンフライズに関わるようになったタイミングで一番感じたのは、『バスケの競技大会を開催している』ということでした。競技だけを追求しすぎて、ブースターはおいてけぼりにされている状態だったのです。プロチームは、バスケットボールを興行として捉え、より多くのお客さんに来ていただき楽しんでもらわないことには、存在価値がないのです。
 もちろん、選手が日本代表入りをするといった事も大切ですが、競技大会を開催していてはプロチームの意味がありません。まずは、たくさんのお客さんに喜んでいただくことがプロフェッショナルの仕事ですので、競技大会から興行へ転換していくことが僕の考えでした。
 ですから広島に住んでいる多くの人たちへ向けて、地元企業や地元メディア、行政といった方々と連携し『広島らしさ』をキーワードに働きかけて、広島だからこその価値のあるチームづくりを目指しています」

—そういったチームづくりをしながら創設から9年が経ちました。ここまでのターニングポイントがあれば教えてください。

 

 「きっと時間が許せば、どのクラブもそれなりの成長をし、たとえばB1に昇格したり、優勝をしたりという時間が解決することが結構あるのです。でも我々は何もないところから始まり、9年でチャンピオンシップ(CS)出場まで来る事ができました。
 4年前に経営が変わり、チームとしての成長スピードがより早くなったことが、一つのターニングポイントかなと思います」

—それは選手を強化するといった、チームの地力を上げる事にもつながったと?

 「スポーツクラブ経営の中で、最大の商品はやはりプレーヤーです。最短でチームを強くするには、昇り詰めるにはどうしたら良いかと、たくさんの話をした結果、良い商品、価値の高いもの(プレーヤー)に、まず投資をしていこうという判断を行いました。
 そうすることで、チーム成績が上がりB1へ昇格。そこから1年間は苦労はしましたが、でもそれは我々の想定内でしたから、結果的に強いチームをつくることができましたね.

⚫️浦 伸嘉うら・のぶよし)/1980年10月1日生、広島県出身。美鈴が丘高-大阪商大-新潟アルビレックスBB-A2(2003-04)-新潟アルビレックスBB(2005-06)- 福岡BBボーイズ(2006-07)。2004年に広島県代表として国体選手に出場し、翌年のbjリーグ開幕とともに新潟アルビレックスBBへ昇格。PG(ポイントガード)として新潟、福岡などで活躍した。2007年に引退し、2016年から広島ドラゴンフライズの社長を務めている。

「広島アスリートマガジン」7月号の特集は「記憶力。 Power Of Records」。数々の記録に隠された選手たちの想いをお届けします! カープ・秋山翔吾選手、廣瀬 純コーチの独占インタビュー。そして広島ドラゴンフライズ浦 伸嘉社長のインタビューもお見逃しなく。