その偉大な記録が打ち立てられたのは、2013年4月26日。これまで破られることのなかった14打席連続出塁の日本記録は、廣瀬 純によって15へと塗り替えられた。現役を引退しコーチとなった今、日本記録を持つ男は、若手たちに新たな記録への挑戦を期待している。

記録を狙える選手が現れたら、絶対に世界記録を破ってほしい

現在は二軍外野守備・走塁コーチとして若手の育成に尽力する廣瀬純。

─当時、廣瀬コーチの打撃は、単純に調子が良かったのですか?

 「本当に良かったです。それまではケガをする以前の2011年が、僕自身の中で一番調子の良いシーズンでした。その年の交流戦でケガをしてしまうんですが、直前の4月は自分の中で打てる感覚が構築され、打つことに対する感覚がつかめてきたタイミングでした。そんな最高の状態でケガをしてしまい、その年、翌2012年は全然ダメでした。2013年になって、ようやく感覚が戻ってきたなという感じをつかみ始めていたところでの、連続出塁でした。ですから球は長く見えていましたし、際どいコースはわざとファールにできていました。投球からスイングに入った段階で、タイミングが合わないと思ったら球を引きつけて体の前でカットし、逆方向のファールで逃げられる。そんなとても良い状態でした。球の縫い目も綺麗に見えましたしね。タイミングが長く取れるとよく言いますが、投手がリリースして、打者の手元に来るまでの時間がすごく長く感じられ、球がしっかりと見えているからこそ、結果として四球も増えて出塁が続いたということです」

─最高の状態での連続出塁。記録更新に注目が集まりはじめたなかで迎える打席に対して、どう感じていましたか。

 「すごくありがたいことでしたので、メディアの方たちに『僕は記録を狙いますのでみなさんで応援してください』と言っていました。プレッシャーというよりも、やってやるぞと楽しみながらという感覚でした」

─記録を振り返ってみて、一番印象に残っている打席はありますか?

 「達成した日(4月26日、対中日)の先発が大野(雄大)投手でした。1打席目がレフト前のヒット、2打席目は左中間のタイムリーヒット。3打席目は岡田(俊哉)投手からライト前ヒット。4打席目に武藤(祐太)投手から打ったんです。その最後に打った打ち方が一番印象に残っていますね。いわゆる『縦振り』という打ち方で、ゴルフスイングのような打ち方でした。その10年前以上から低めの球に対しては、そういう打ち方の練習をしていましたので、練習を積み重ねた結果が出た打ち方ができたのかなと思います」

─15打連続出塁を達成した瞬間の気持ちはどんな感じだったのでしょう。

 「当時、お立ち台でも言ったはずですが、『僕の記録は酒のツマミくらいで良いのでカープをもっと応援してほしい』と。僕のことはいいから、チームをなんとかしたいということばかり考えていました。主力が2人も抜けていましたしね。あの当時、僕の立場としては、いつでもレギュラーを外される状態でした。
 年齢との戦い、チーム内での戦いといったことも大きかったので、記録に対しては浮かれてばかりいてはいけないという感じでした。今になって、すごい記録だったのだなと感じるようになりましたが、当時はどうやったらAクラスに入れるか、そのために自分はどういう役割をしなければいけないのか、そればかり考えていました。必死にやっていたなかでの記録でした。
 でもその裏で正直、“早く記録が途絶えてくれ”という気持ちもありました。だから次の試合の初打席で初球を簡単に打って、アウトになったんですよね(苦笑)。世界記録に挑むという気持ちもありませんでした。当時のチーム状態もあまり良くありませんでしたから、これで変に浮かれることもなかったですね」

─昨季の村上選手をはじめ、記録を更新するような選手が出てきたら、どう感じられますか?

 「全力で応援します。タイ記録ではなく、記録を塗り替えるように。記録に挑むことによって、選手として得られるものが大きいですし、世界も広がると思います。僕は今、選手をサポートする立場ですし、記録は抜かれるものですから。達成した人しか分からないことや、味わえない感覚もありますし、それまでの過程で得られるものもたくさんあります。
 もちろん打者として良い状態なのですから、技術的なことはもちろん、生活リズムに至るまで全てが良い状態です。もし状態が悪くなっても、その感覚を思い出すことで状態を上向かせるきっかけになると思います」

─現在は立場が変わり、指導者として若手選手たちと関わっていますが、改めて廣瀬コーチにとって『記録』とは?

 「記録はずっと残るものですので、今になってみれば、僕も世界記録を狙えば良かったなと思います。当時、僕がコーチをしていたとしたら、間違いなく『世界記録を狙ってこい!』って言いますね。当時は誰も、一切そんなことは言わなかったです。それは世界記録を狙えと言って、力ませるかもしれないといった気を使っていただいていたのかもしれません。でも今ならコーチの立場として、僕は『絶対に世界記録だ』と、選手たちを打席に送り出します」

 「打撃で大した成績を残せていない選手でしたので、当時はとにかく必死でやっていた中での記録でした。2022年に村上選手(宗隆・ヤクルト)が、その記録に並ぶかもというタイミングがありましたが、それを見ていても『多分、抜かされるだろうな』くらいの、軽い気持ちでしか、僕は見ていませんでした」

─昨年の8月でしたね。村上選手が、その記録に迫ったとき、廣瀬コーチのお名前も、しきりにメディアで聞かれました。どんな気持ちで聞かれていましたか?

 「野球をやっていて良かったなというくらいですね。記録は塗り替えられるものなので、記録を達成した側から言うと、その記録を破るために頑張ってほしいなという思いです。16打席連続出塁を更新すれば世界記録ですよね。だから15、16と続けて、日本記録ではなく、世界記録を狙ってほしいです。
 僕は記録が途切れたときに、あともう少しで世界記録だと知ったので、もし先に知っていれば『いや、狙おう!』という気持ちになったかもしれません。でも当時はそういう気持ちは全くなく、チームが勝つことしか考えていない状態でした。だから、もしそういうチャンスをつかんだ選手には、日本記録ではなく、世界記録を狙ってほしいという思いがあります」

廣瀬 純●ひろせじゅん
1979年生、大分県出身。佐伯鶴城高-法政大-広島(2000年ドラフト2巡目)。大学時は、東京六大学リーグにおいて3年春に三冠王に輝くなど、強肩強打の外野手として注目を集めた。自身の逆指名もあり、2001年にカープへ入団すると、同年3月には一軍デビュー。強肩を活かした外野守備で多くの捕殺を記録し、チームのピンチを救いファンを湧かせた。2013年に記録した15打席連続出塁は、今でも破られることのない偉大な記録。2016年に現役を引退し、2017年オフにカープのコーチに就任。現在は二軍外野守備・走塁コーチとして若手の育成に務めている。

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