北別府投手自身も以前、最多勝、最優秀防御率、最高勝率を獲得し、チームの優勝に貢献してMVPにも輝いた1986年を振り返って、「序盤に1点でも入れば、よし勝ったなって思いましたから」(『広島カープ全史1950-2016』ベースボール・マガジン社/2016)と語っている。
では実際、北別府投手が1対0で勝った試合は何試合あったのだろうか(データについてはサイト「日本プロ野球記録」を参考にした)。1976年〜1994年の計19シーズンで、北別府投手が残した成績は213勝141敗。213勝のうち28勝は完封勝利である。1対0で勝利投手になった試合は計11試合(うち完封が6)。逆に完投しながら0対1で敗戦投手になったこともある(1982年9月15日)。
もちろん味方の大量得点で勝利投手になった試合も多くあるのだが、やはりヒリヒリするような展開の僅差の試合で勝ってくれる、そんな信頼感が北別府投手にはあった。
昨年3月に行われたカープOBによるレジェンドゲーム。グッズとして1977〜1988年モデルのユニホームが販売されたが、誰のモデルを買おうかと悩んだ結果、私が選んだのは北別府投手であった。実は私がカープファンとして見ていた北別府投手は、その一つ後の1989〜1995年モデルのユニホーム姿なのだが、「1977〜1988年のカープの代表的な選手」として真っ先に思い浮かんだのが北別府投手だったからである。
闘病中であった北別府投手は出場が叶わなかったが、代わりにそのユニホームを着て大野豊投手がマウンドに立った。みんな北別府投手と一緒にいる。OBメンバーもファンも、誰もがそう感じた瞬間であった。
正直なところ、今でも北別府投手がいないということの実感が湧いていない。それでも今後、カープが1対0で勝利した時に、私はおそらく北別府投手を思い出してしまうだろう。そんな風に、人々の心の中に生き続けていくのだと思う。
イラスト・文/オギリマサホ
オギリマサホ
東京都出身のイラストレーター。シュールな人物像を中心に雑誌や書籍、WEBなどで活躍。中1までは親の影響で巨人ファンだったが、中2の時に大野豊、北別府学、川口和久を中心とする投手王国カープに魅せられカープファンに。現在、本誌WEBでも独自の視点で連載中。