Jリーグ創設以来30年間、ホームスタジアムとしてサンフレッチェを見守り続けてきたエディオンスタジアム広島。ビッグアーチと呼ばれた時代から、ここでは多くの記録と記憶が誕生した。ラストイヤーを迎えたエディオンスタジアム。そこに刻まれた紫の足跡を、関係者たちの言葉で振り返っていく。

 連載第1回は、 森﨑浩司アンバサダーが登場。広島一筋で17年プレーし、現在もアンバサダーとして活躍する森﨑氏が、デビューから引退までを過ごしたエディオンスタジアム広島との日々を振り返る。

現在はクラブアンバサダーを務める森﨑浩司氏。現役時代とはスタジアムの見方も変わってきたという。

何も考えられないくらい緊張した、エディオンスタジアムのデビュー戦

ー森﨑浩司さんがサンフレッチェに加入されたのは2000年です。当時からエディオンスタジアム広島(以下、エディスタ)はホームスタジアムでした。

「そうですね。基本はエディスタで、カップ戦や、平日のリーグ戦は広島スタジアム(現・Balcom BMW 広島総合グランド)を使っていました。ちょうど、メインがエディスタになりつつある過渡期でしたね」

ープロ入りから引退までの17年間、エディスタをホームとしてプレーされたわけですが、ラストイヤーとなる今年、どのような思いでエディスタでの試合をご覧になっていますか?

「現役の頃から、広島にもサッカー専用スタジアムがあったら良いなという思いを持ちながらプレーしていました。一方でエディスタには、17年間プレーした思い出や、優勝を勝ち取った思い出があります。自分自身、サッカー選手として成長させてもらった場所でもあるので、やはり寂しいという気持ちもあります。ただ、クラブの未来のことを考えたり、今後もっと広島のサッカーを盛り上げていくためには、新スタジアムが重要だと思っていたので、今は『ついに夢が実現するんだ』と感慨深い思いです」

ー思い出を伺っていきます。エディスタに初めて観戦に行ったのはいつでしたか。

「AFCアジアカップ1992だったと思います。当時は『広島ビッグアーチ』と呼ばれていました。日本代表が初めてアジアの頂点に立った大会で、僕は12歳くらいでした。広島ビッグアーチが超満員になっていて、その時の光景が今でも目に焼き付いていますね。日本代表の試合を地元の広島で観戦して、1ファンとしてもサッカーの盛り上がりを感じられた試合でした。すごいな、華やかだなと思ったことを覚えています」

ー初めてエディスタのピッチに立った試合のことは、覚えていますか。

「エディスタ自体はユースの頃の試合でもプレーしたことがありますが、観客がたくさん入った状態でピッチに立ったのは、プロ入り後に初めてスタメン出場した試合でした。その時はもう何も考えられないというか、とにかくすごく緊張しながらピッチに入場したことを覚えています。その試合では前半で途中交代になってしまって、『プロの世界はこんなに厳しいんだ』と感じましたし、プレッシャーのかかり方も、それまでとは全然違っていました。緊張してしまって何もできなかったという、苦い経験からのスタートでした。プロでもやっていけるだろうという自信は芽生えていたのですが、やはりファン・サポーターのみなさんが入った公式戦になると緊張してしまって、何もできない自分が悔しかったです。その反面、カズ(森﨑和幸、現クラブリレーションマネージャー)が堂々とプレーしていたのも記憶にあって、カズとの差を肌で感じました」

ーでは、エディスタで初めて決めたゴールのことは覚えていますか?

「覚えていますね。2002年の札幌との開幕戦(3月3日、○5ー1)だったと思います。当時僕はプロ3年目で、初めて開幕戦でスタメン出場できて、『やってやろう』という気持ちで臨んだシーズンでした。背番号も、森保さん(一、現代表監督)から引き継いで7になったシーズンでもあり、当然モチベーションも高かったですし、開幕から結果を残したいという思いがありました。
 開幕戦独特の緊張感のなかではありましたが、その試合で2点決めることができて、すごくうれしかったことを覚えています。その試合は、僕がプロA契約を決めた試合でもありました。前年にケガをしてしまったこともあって、あと少しのところでA契約の条件に届いていなかったんです。
 苦い記憶もあった分、初ゴールの日は『ようやくプロサッカー選手になれた』と実感できた日でもありました。プロで初めてゴールを決めたのはアウェイのアビスパ福岡戦(2001年9月29日、○4ー0)だったのですが、そのゴールと、ホームで挙げた初ゴールの時は、頭が真っ白になるくらい、本当にうれしかったです。ホームでゴールを決めるのは、どこのスタジアムで得点するよりもうれしい瞬間でした」