100勝100セーブ、史上最年長(当時)での開幕投手など、大野豊氏は現役時代に数多くの金字塔を打ち立てた。カープ一筋22年。稀代の名左腕が改めて自身のプロ野球人生、そしてカープへの思いを口にする。

大野豊氏は現役引退後もコーチとしてカープに携わった。

 22年間の間に残した成績の中で誇れる数字といえば、1988年に昭和最後の1点台の防御率(1.70)を残せたことです。これは自分の中で勲章だと思っていましたし、同じ年に沢村賞をいただいたことはとても光栄でした。

 私のプロ野球選手としてのスタートは防御率135.00。その原点があっただけに、現役時代は特に防御率にはこだわって投げていました。

 私は現役を通して、決して成功して伸びた選手ではありません。数多くの失敗をして、挫折してそしてそれをなんとか乗り越えることで、やってこれた選手でした。それはカープだからこそできたことだと思いますし、先発、中継ぎ、そして抑えといくつものポジションを経験できたことも、その後の人生にとても役立っていると思っています。

 最後に、自分がカープを選択したこと、これが間違いではなかったと胸を張って言うことができます。違うチームであれば今の自分はいなかったと断言できます。違うユニホームを着てプレーしている自分は全く想像できませんでした。それだけカープに愛着を持っていますし、育ててもらった義理や恩も感じています。

 22年間もカープのユニホームを着続けられたことは私の誇りです。そしてカープだからこそ22年間投げられたと思っています。言葉では表現しづらいですが、愛着が湧くチーム。それがカープだと思っています。

 カープが生まれてから70年、その歴史の中には良い時期もあれば悪い時期もありました。やはりカープには強くあってほしいというのがいちOBとしての願いです。カープの良さ、伝統、歴史を引き継ぎながら、これからも広島という地域だけではなく、全国からも愛されるチームであってほしいと思います。