例年、リーグ成績を大きく左右してきた『セ・パ交流戦』。カープの交流戦の歴史を振り返ると、山あり谷ありの戦いを繰り返してきたことがわかる。2005年の導入から今年で20回目の開催を迎えている。ここでは、2012年から2015年までの交流戦を単年ごとに振り返ってみよう。
◆2012年・交流戦6位(24試合10勝11敗3分)
野村謙二郎監督就任3年目の交流戦では、またしても選手の故障が相次いだ。4月には主砲の栗原健太が右肘の変形性肘関節症により戦線離脱。後釜のニック・スタビノアも、6月に右膝を負傷し登録を抹消された。さらには東出輝裕が右中指を骨折……。前年の例もあるだけに、打撃不振は交流戦に暗い影を落としかねなかった。
投手陣では抑えのサファテが不調に陥った。5月下旬には3戦連続でセーブに失敗すると、翌月には米国に一時帰国している。ニックの後を継いだ岩本貴裕、新守護神に抜擢されたミコライオらの奮闘により、交流戦は6位でフィニッシュとなった。
なお、この年は巨人が交流戦を制覇。8年目にして初めて、セ・リーグのチームが頂点に立っている。
◆2013年・交流戦8位(24試合11勝13敗)
交流戦初戦で4年ぶりに勝利を収め、続く2戦目も苦手のソフトバンクを退けるなど、『鬼門』で好スタートを切ったかに見えた2013年。
ところが、5月の日本ハム戦から投打の歯車が狂うとまさかの6連敗。開幕から好調だった丸佳浩(現・巨人)、廣瀬純が勢いを失い、6月の月間チーム打率は.218とリーグワーストに沈んだ。とはいえ交流戦終盤には5連勝を飾り、好不調の波が激しい中でも最後に盛り返して11勝13敗という成績を残す。
連勝、連敗を繰り返すなど波があったものの、中盤戦までの粘りが16年ぶりのAクラス、球団史上初のクライマックス・シリーズ進出につながった。