◆仏頂面とは違う、笑顔の北別府さん
北別府さんは表向きはちょっと気難しい雰囲気でしたが、親しくなった人には緊張が解けて、飲みながら一緒にテレビを見て、ああだこうだ言いながら、いつもの仏頂面とは違う笑顔で会話していることが多かったです。当時、先発投手は中5日でしたから、5日間はベンチに入らなくてもいいことがあったので、一緒に寮へ帰って、野球を見ながら北別府さんの話を聞いていました。北別府さんから『おい、釣りに行くぞ』と言われ、共通の友人とよく釣りにも行っていました。北別府さんは、僕の兄貴分みたいな存在でした。
3年目のキャンプのときだったかな『おい、ちょっと付き合えよ』と言われ、鹿児島の実家に連れて行かれて、ご家族と一緒にご飯を食べて、一泊させていただいたりもしました。僕の後に、津田(恒実)が入団するのですが、津田もすごく可愛がってもらっていました。3人でよく遊んだりもしましたね。当時の広島カープの投手は、すごくみんなが仲良くて、投手会というピッチャーだけの集まりがありました。投手会のみんなで積み立てをしたお金で、シーズンオフには、福岡のゴルフ場で泊まりがけのゴルフコンペを開いて楽しんでいました。
当時のカープ投手陣は、チーム内のライバルでもあり、厳しい練習に耐える仲間でもありました。練習は、それはもう本当にめちゃくちゃ厳しかったです。ですが北別府さんは、練習で手を抜くことは一切ありませんでしたし、自分に対してすごく厳しい方でした。あの地獄のような練習の後に、最後まで残って1人でランニングをする姿をよく見かけました。ですから北別府さんが残された213勝という数字は、その結果の現れだと思うのです。低めの制球というのは、下半身の強さが一番重要視されます。そのための妥協のない練習を、黙々とこなし続けていた方でした。練習をするときは、とことん自分を追い込んで、休みの日には軽く練習して終わりという、メリハリも大切にされていました。
そんな日々の練習を耐え抜いてきた仲間ですから、自然と団結力が生まれます。当時は、個人練習で自分の欠点をしっかりと克服するという時代ではありませんでしたから、個人練習はほとんどしませんでした。チームとして、投手陣としてみんなで厳しい練習を乗り越えてきた団結力を持つ、一つの集団になっていましたから、みんな仲が良かったです。当時は、投手陣の中心選手に北別府さんと大野(豊)さんがいて、北別府さんとはよくお酒を一緒に飲んでいましたが、大野さんはお酒を飲まないので、飲まない組はみんなでずっと麻雀をしていました(笑)。
(後編へ続く)