高卒でカープに入団してから15年。磯村嘉孝が現役生活にピリオドを打った。数えきれないほどのブルペンと、チームの勝利を陰で支えてきた。カープ一筋で駆け抜けた捕手が、自身の野球人生とチームへの想いを語る。(全2回/第1回)
◆「戦力外通告されたら辞める」。ずっとそう考えてきた
─現役引退の表明後、どのような心境で過ごしてきましたか?
「ほっとしているというか、野球には満足しているので、毎日気持ち良く朝を迎えています。本当にスッキリしていますし、悔いも未練も全くありません」
─10月25日の会見で引退表明をされました。どのような経緯だったのでしょうか。
「前日に球団から明日来てほしいと連絡がありました。ただ、戦力外もあるだろうなというのは、15年もいれば編成上の都合などで大体分かるので、そこまで驚くことはなく、『来たな』という感じでした。当日は、決して“戦力外です”という感じではなく、来年は戦力として難しいということと、お疲れさまと言っていただきました。ここ最近は戦力外を通告されたらやめようとずっと思っていたので、その時に決めたのではなく、ある程度決断をした状態でその席についていました」
─決断されて、ご家族の反応はいかがでしたか?
「両親や妻にも前もって危ないからとは言っていたので、そこまで驚きはなかったかと思いますね。妻からは、『お疲れさま』ということ、『まだまだこれからが長いから。また来年から頑張って』ということを言われましたね」
─今シーズンが現役ラストになりました。開幕一軍スタートでしたが、どのような思いで臨まれたシーズンでしたか?
「1年1年が勝負で『ダメだったらクビになる』という覚悟でここ近年は毎年挑んでいました。とにかく自分がやることをやって、結果を出すだけという思いでした。若くて良いキャッチャーがたくさんいましたし、負けないようにという思いで取り組んでいました」
─磯村選手と切っても切り離せない堂林翔太選手との関係性ですが、引退の報告はどのようにされたのでしょうか?
「球団から電話が来て、少し時間が経ってから、『明日呼ばれました』と選手の中では最初に電話で言いました。ただ、1回目は出なかったんですけどね(笑)。『後でかけ直すわ』と言われて、少し経ってから折り返しが来たのですが、おそらく勘づいていたのだと思います。いつもご飯に行った時には『やばいかな』という話はしていたので、『やっぱり来たか。とりあえずお疲れさま』という感じでした。『また球場に行くのでお願いします』と言って、『了解〜』と本当にそんな感じでしたね」
─中学から一緒にプレーされたわけですが、プロ野球でも同じ球団で15年間一緒にプレーした堂林選手は、磯村さんにとってどんな存在でしたか?
「やっぱり超えられない……という存在です。野球もそうですし、人間としても尊敬できます。本当にめちゃくちゃお世話になって、感謝しかありません。いつも遠征先では2人でご飯に行ったり、コメダ珈琲に行ったりもしていました(笑)。堂林さんがいないところで野球をやったのが僕が小学校のときだけですからね。中学から常に堂林さんが一緒にいたので、何かあれば相談しましたし、打撃に関してもお互い確認しあったり、本当に堂林さんがいないところで野球するのは想像できないですね。先輩後輩というより、家族・兄弟みたいな感じです。そう言って良いのかわからないですけどね(笑)
(後編へ続く)

