カープ一筋にプレーし、多くのファンに愛された捕手・磯村嘉孝が現役生活にピリオドを打った。来季から球団スタッフに転身することが発表されている磯村が、カープでの忘れられない試合を振り返る。『捕手』というポジションへの思い、ファンへの感謝とは。(全2回/第2回)
◆捕手はしんどいけれど、楽しいポジション
─カープでの野球人生についてお伺いします。捕手として15年間プレーし、1つのポジションを若手時代から常に争ってきました。
「入団時から倉(義和)さん、石原(慶幸)さん、白濱(裕太)さん、會澤(翼)さん、良い捕手がたくさんいました。なかなか超えたくても超えられない野球技術でしたし、みなさんリーダーシップもありました。もちろん僕もレギュラーを目指していましたが、内心『難しいだろうな……』という気持ちもありました」
─捕手として大事にしてきたことはありますか?
「先輩方もそうですが、後輩にも良い捕手がいる中で、自分の技術だけでは絶対追いつけない、追い越せないと思っていました。なので、プラスαで勉強をしたり、3連覇の時は若手の投手と組ませてもらうことも多くあったので、自分でスコアラー室に行って、映像を見て、データを集めたり、同じようなタイプの対戦映像を見たりして、自分に足りないもので、足せるものはなるべく吸収しようと常に思っていました」
─ムードメーカー的存在としても、チームを盛り上げていたように感じます。
「こんな性格なので演じることとかはなくて、むしろ(上本)崇司さんがムードメーカーでした。僕は崇司さんみたいに面白いことができるわけでもないですし、面白い話もできないです。ただただ笑い声と声がでかいだけで、そういう風に思ってもらえていたんだと思います(笑)」
─入団時は61番を背負い、2017年から40番を背負いました。カープの40番と言えば達川光男さん時代から捕手の代名詞的番号です。どんな思いでしたか?
「やっぱりうれしかったですし、今となっては短い40番になってしまったので、申し訳ない気持ちはあります。プレッシャーというのはそこまで感じていませんでしたが、つけられたことがうれしくて、頑張ろうと決意していました」
─2019年には、打撃面で結果を残して、存在感を示しました。
「打撃については、特にストレートをちゃんと打てるように、とにかく思いっきり打つことを意識していました。迷ったらダメなタイプだったので、球種を絞るのであれば1つに絞って、それ以外であればストレートを弾き返すとか、本当にシンプルにあまり深くは考えないようにしていました」
─15年間で忘れられない瞬間、試合を改めて教えてください。
「3年前の宇都宮での巨人戦(2022年5月17日・宇都宮清原球場)で、遠藤(淳志)とのバッテリーで完封できなかったことが1番悔しかったですね。勉強不足でもあり、経験不足であった最後の9回の1イニングだったのですが、負けて悔しいという思いと、得たものはすごく大きかったんです。自分のダメなところ、それを今後どうしていくのか。結果的には負けましたが、それが反省材料となりましたし、個人的には捕手としてまだまだと思わされた試合でした」
─具体的にどんなことを学んだ試合となったのでしょうか?
「先発が最後の9回まで投げ切って完封するということが、改めて難しいんだということを感じました。遠藤もまだ若かったですし、若い投手とバッテリーを組む上で、今まではそこまで考えていなかったという部分がありました。ある程度先発に入る時は、6、7回ぐらいまではイメージしてシミュレーションをして入るようにしていましたが、正直なところ“完投”まで考えていなかったというところがあり、どうしたら良いのかという思いがあったんです。もう少し僕が考えておけば、完封は絶対できていたと思うので、今振り返ってもそこは悔いが残る試合でした」
─磯村選手にとってカープはどんな球団でしたか?
「家族みたいな、暖かい球団です。監督、コーチもそうですし、選手も歴代そういう雰囲気をつくってくださった先輩方がいて、伝統として残っていて、まさに“家族”みたいです。最近は現役ドラフトなどで、他球団から選手が来ますが、みんな良い意味で、距離が近いよねという話をしているので、そうなんだなと思いますね」
─プロ野球選手だった15年間はどんな時間でしたか?
「幸せな時間でしたね。なりたくてもなれない世界だとよく言われますし、その中でも一軍に一度も上がれないで引退する選手もいる中で、15年間もプレーさせてもらい、優勝も経験できて、本当にさまざまなことを経験させてもらいました。15年間、本当に幸せな野球人生でした。ユニホームを着ているからできることもあると思いますし、カープだから出会えた人もたくさんいます。人としても成長させてもらいました。この15年間、めちゃくちゃ濃い、良い時間だったなと今振り返って感じます」
─捕手としての野球人生でしたが、磯村さんにとって捕手とは?
「しんどいですけど、楽しいです。勝った時の喜びや、負けたときの悔しさなど、一勝の価値の重さをすごく感じましたし、一言で表せないですけど、総じてめちゃくちゃ楽しかったなと思います」
─カープファンの存在はどんなものでしたか?
「本当に助けてもらいました。満員のマツダ スタジアムで野球をするのはすごく楽しかったですし、自分にはないパワーが出てくるような感覚でプレーできました。最後はしんどい時もありましたが、『頑張れ』や『一軍で待ってるよ』など、拍手もらったり……みなさんの応援は、くじけそうな時に、また心奮い立たせてくれる存在だったので本当に助けてもらいました」
─最後にファンのみなさんにメッセージをお願いします。
「15年間本当にお世話になりました。なかなかみなさんの期待には応えられなかったことが多かったですが、最後まで応援していただき、本当に幸せでした。みなさんがいたから15年間頑張れました。本当に感謝しています。ありがとうございました!」
■磯村嘉孝(いそむら・よしたか)
1992年11月1日生、愛知県出身
中京大中京高-広島(2010年ドラフト5位)
高校時代は1学年先輩の堂林翔太と共に、夏の甲子園で全国制覇を経験。入団後はしばらく二軍での下積みが続いたが、2016年からは石原慶幸、會澤翼に次ぐ3番手捕手として一軍出場機会を増やして3連覇を経験。2019年はパンチ力ある打撃で代打の切り札として、キャリアハイとなる65試合に出場し、代打打率.322を記録。15年間、捕手として巧みなリードを活かして要所でチームを支え続けた。

