広島東洋カープにまつわるモノ・コト・場所をクローズアップして取り上げる『カープ再発見』企画。開幕を心待ちにするカープファンに、開幕がもっと待ち遠しくなる(!?)アレコレをお届けする。

 旧広島市民球場の売りの一つが、1993年に新装されたオーロラビジョン付きの電光式スコアボードだった。現在はフルスクリーンのオーロラビジョンとなったスコアボードだが、かつてと変わらず応援を盛り上げたり、プレゼント抽選をしたりと活躍している。

 そんなスコアボード、かつての『手動式時代』を覚えているファンは果たしてどれほどいるだろうか。

旧広島市民球場の二代目スコアボード

 旧広島市民球場の誕生は、カープ創立8年目の1957年(昭和32年)。1992年までの36年間は、スコアボードは旧式の手動式によるもので、専門スタッフが丸文字で手書きしたプレートを、ボード内の係員が手動で付け替えていた。

 ゲームの様子は得点表示欄のすき間から確認したり、ネット裏からの内線電話やラジオ中継で確認していたという。選手交替が頻繁だとたまに誤りが見られることもあった。真夏のスコアボード内はサウナのような蒸し暑さで、スタッフは汗を拭いながら作業をしていたそうだ。

 手書きスコアボード時代の前半(1957〜1974年)は、Aクラスがわずか1回で4位5回、5位と最下位が6回ずつという低迷期。そして初優勝した1975年(昭和50年)から1992年(平成4年)までの18年間は、リーグ優勝6回(うち日本一3回)、Bクラスはわずか3回で最下位は一度もない、まさに黄金期。その栄光のスコアと選手名を初代のスコアボードは刻んできたのだ。

 二代目のオーロラビジョン付き電光式スコアボードは、1993年(平成5年)に運用が開始された。スコアボードが電光式になったのは、セ・リーグの中では一番最後。同時に登場したオーロラビジョンも当時としては先端を走っていたが、相次ぐドーム球場の誕生もあって、やがて珍しいものではなくなった。

 得点経過に加え、グラウンド上でプレーしている両軍選手、さらに現在の打者を示すのがスコアボードの役目。しかし12球団の本拠地で唯一、旧広島市民球場では出塁している走者も加えて示していた。

 当時の管理事務所によると「手動式では、打者を示す赤いランプを外側からネオンのような赤い輪で囲んで、走者を示していました。電光式に変わる際にもこの機能は残そうということで、選手名の文字色を変えて打者、走者を示しています」。他球場での観戦が多い県外の野球ファンには、これが新鮮に映って好評だったようだ。

 二代目の電光式はバックスクリーンの真上に左右対称でそびえ立っていたが、先代の手動式は、バックスクリーンよりややライト側寄りに立っていた。

 当時の担当者によると、「外野席のライト側とレフト側を食堂や売店、通路で結ぼうとした場合、設計上バックスクリーンの真後ろには立てられなかったのです。手動式の場合は、人間が入るスコアボードは建物になるわけですから」とのこと。

 しかし電光式だとスコアボードも巨大な電飾看板なので、奥行きが小さくなり、他球場同様バックスクリーンの真後ろに立てることが可能になったのだという。

 2009年に開業したマツダ スタジアムのスコアボードは、当初は映像モニター装置部分と得点などの固定表示部分に分かれていたが、2018年の改修により全面ビジョン化された。

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