プロ3年目の中村奨成が、変則的なシーズンながら貴重な時間を過ごしている。今季は開幕こそ二軍で迎えたもののウエスタン・リーグで結果を残し、7月25日に一軍初昇格を勝ち取った。継続的な帯同は果たせていないが、一軍の空気を味わうことで有形無形の財産を得たことは間違いない。

まだ結果を残せていないとはいえ、現時点で2度、一軍への昇格を果たしている中村奨成選手。

 広陵高時代の3年夏、清原和博(PL学園高)が樹立した1大会の個人最多本塁打記録(5本)を更新したことで一躍、時の人となった。直後のドラフト会議ではカープと中日が、将来性豊かな捕手として1位指名。まさに鳴り物入りでのカープ入団だった。

 入団当初に掲げた目標は『新人王』と『将来的なトリプルスリー』。しかしながら、その後の道程は平坦とは無縁の、険しいイバラ道となった。1年目に二軍で83試合に出場したものの、攻守両面でプロの壁にぶち当たり、自問自答の日々を繰り返した。

「金属ならバットの芯から外れていてもヒットになっていましたが、木製は少しでも芯から外れるとバットが折れてしまったり、弱い当たりになってしまうことです。そのあたりの対応には戸惑いがありました」
(広島アスリートマガジン2018年5月号)

 巻き返しを図り臨んだ2年目は、春季キャンプ序盤に右第一肋骨を疲労骨折。スタートと同時に競争の機会を奪われ、失意の戦線離脱を余儀なくされた。他の若鯉たちがアピールを続けるなか、中村は日々三軍での治療とリハビリを続けた。思いのほか回復に時間を要し、医師から最終的なゴーサインが出たのは5月末。初の実戦の舞台は、ウエスタン・リーグ開幕から3カ月もずれ込んだ6月18日のことだった。

 これまでの遅れを取り戻すかのように、先発のメナを7回無失点の好リードで導いた。ところが8回の第4打席、左前側頭部に死球を受け2度目の戦線離脱。結果的にプロ2年目も完全燃焼を果たすことはできなかった。

「これまでの遅れを取り戻すしかないという思いで試合に入っていって、その試合でデッドボールでしたからね……さすがに凹みました。『野球に見放されたのかな』と思ったこともありましたし、正直野球をするのが怖くなりました」
(広島アスリートマガジン2020年2月号)

 多くの苦しみを味わったドラ1戦士は今季、プロ3年目を迎えるにあたり一軍昇格を“最低目標”として掲げた。その思いは結実し、春季キャンプ一軍入りに続きウエスタン・リーグでリーグトップの打率と出塁率をマークすることで初の一軍昇格を勝ち取ってみせた。

「甘い世界でないということはよく分かっています。まずは自分のやるべきことをしっかりやって、一歩ずつレベルアップできればと思っています」
(広島アスリートマガジン2020年2月号)

 1度目の昇格では代打の4打席で無安打。2度目の昇格では出場機会を得ることができず、わずか5日での再降格となった。とはいえ、再び二軍で成績を残せば再昇格の可能性も十分ある。3度目の昇格を目指し、この先もウエスタン・リーグで結果を出し続けるのみだ。