カープの正捕手として長らくチームを牽引した石原慶幸が、今シーズン限りでの現役引退を決断した。赤ヘル一筋19年。低迷期から平成の黄金期に至るまで、扇の要として常に投手陣を支え続けてきた。

 広島アスリートマガジン2019年7月号で語っていた言葉をもとに石原慶幸の“捕手論”を紐解いていく。

リードだけではなく高いキャッチング技術にも定評があった石原慶幸選手。

 近い世代には球界を代表する捕手がずらりと顔を揃えていた。主だったところだけでも古田敦也(ヤクルト)、谷繁元信(中日)、城島健司(ダイエーほか)、阿部慎之助(巨人)。素晴らしい教材を前にして、石原は入団直後から貪欲に技術を吸収しようと努めていた。

「入団当時から周りは素晴らしい捕手ばかりでした。ライバル視するというよりも、とにかく日々勉強でしたし、対戦するときにはプレーをずっと見ていました。阿部さんは大学の時から交流がありましたが、その他の先輩方は恐れ多くて、なかなか話を聞きに行きづらい部分はありました(苦笑)」

 錚々たるメンバーが顔を連ねる中で、石原もプロ3年目となる2004年に正捕手の座を奪取。キャリアハイとなる135試合に出場し、投打の両面で存在感を示していった。もちろん捕手というポジションの性質上、打撃よりもやや守備に重きを置き“理想の捕手像”を追求していった。

 「(理想とするのは)やっぱり試合で勝てるキャッチャーです。僕の理想像は昔から変わっていませんね。1試合ずっとマスクを被って勝つ、そうでなければできるだけ試合に出て勝つ。とにかくマスクを被った試合で勝てるキャッチャーが理想だと思っています」

 デビュー当初は、チームは長らく続く低迷期。捕手として「最大の喜び」という勝ち試合に恵まれないこともあったが、WBC日本代表に選出され世界一を経験するなど石原自身は常に進化を続けていた。

 実働19年だけに、それこそ数えきれないほどの投手の球を受けてきた。そんな石原に昨季、印象に残る投手を尋ねたところ、返ってきたのは黒田博樹氏の名前。メジャー移籍中の空白期間があるとはいえ、低迷期や25年ぶりのリーグ優勝を共にした先輩は、やはり特別な存在だった。

「あのオーラであったり、1試合、1球に懸ける投球スタイルというのは、見ている人たち、受ける僕ら、守る選手に気持ちが伝わっていました。そういう投手は他にはいないですね。他の投手と気持ちが変わってはいけないですし、同じつもりなんですけど、黒田さんからは他の投手にはないはそういう気持ちを感じていました」

 捕手のレジェンドだけではなく、投手のレジェンドからも技術や考え方を吸収した。2006年には自ら直訴する形で、新井貴浩氏との護摩行にも同行。ベテランと呼ばれるようになってからも、脇目を振ることなく真摯に野球に打ち込んだ。

 カープでは現在、次代の正捕手を目指して若手選手が凌ぎを削っている。引退を表明したものの石原の精神は會澤翼以下、捕手全員に脈々と受け継がれている。