昨年、赤ヘルとなり50周年を迎えたカープ。赤ヘル51年目となる2026年、チームは巻き返しに燃えている。長きにわたるカープの歴史を語る上で欠かせないのが、頻繁に繰り返された選手たちの『移動劇』だ。ここでは、涙の移籍、電撃加入など、今もファンの記憶に刻まれる主だった移籍劇を振り返ってみよう。

球団初のメジャー移籍選手となった黒田博樹。2015年の復帰に歓喜したカープファンは多い

◆移籍劇が初優勝の原動力に

 カープの移籍史を語る上で欠かせないのが、『トレード』である。

 初優勝したチームの基盤をつくったのは、選手の入れ替えによる活性化だった。1960年代後半、根本陸夫監督による強打者・山内一弘の獲得や外部コーチの招聘で礎を築くと、1975年には球界初の外国人監督ジョー・ルーツも大きく選手を入れ替えた。日本ハムから獲得した大下剛史がリードオフマンとして打線をけん引。阪急からは宮本幸信と渡辺弘基、児玉好弘を獲得。宮本は10勝10セーブ、渡辺は左の中継ぎとしてカープのブルペンを支えた。

 1977年のオフに金銭トレードで獲得した江夏豊は、在籍期間は3年も、中身の濃い働きをみせた。1979年には球界初のリリーフ投手でシーズンMVPに輝き、同年近鉄との日本シリーズで見せた『江夏の21球』は今もカープファンの間では伝説だ。

 1980年代では、1984年に西武から出戻りした小林誠二が抑えとして活躍して最優秀防御率を獲得するなど優勝に貢献。1987年に南海から移籍した西山秀二はのちに正捕手の座に就いた。また1990年代では、1991年に中日から獲得した音重鎮が勝負強い打撃と外野守備で魅せ、1995年に日本ハムから獲得した木村拓也は、ユーティリティープレーヤーとして存在感を発揮した。

 そして1993年にフリーエージェント(FA)制度が導入されると、選手は一定の年数を超えると自由に球団を選べるようになった。消滅した近鉄、新規参入した楽天を含めて12球団がFA選手を獲得してきた中で、唯一FA選手の獲得がないのがカープ。2010年オフに横浜からFA宣言した内川聖一の獲得に動いたものの、そのほかでは主だった動きはない。