◆「プロでもやれるかもしれない」……芽生えた自信

 同地区の平田高校出身で1学年下の青雲光夫投手が神奈川大学を1年で中退し、阪神の入団テストに合格した。右の速球派として県内で注目され、私は高校時代何度か対戦して彼の事はよく知っていた。

「ひょっとすると、俺もプロで通用するかも」

 いつの間にか、そう考えるようになった。

 同じ頃、地元の出雲高校がセンバツ出場を懸けた秋の中国大会出場を前に、我々出雲市信用組合と練習試合をすることになった。試合前、私は出雲高ナインにこう宣言した。「真っ直ぐしか投げないから、好きなように打て」。

 中国大会に出場する学校なら、真っ直ぐだけならガンガン打つはず。勢いをつけて甲子園の切符をつかんで欲しい。そう思って私は3年ぶりに硬球を握ったが、出雲高打線のバットは私の球にかすりもしない。先発で5回を投げて、ヒットは1本だけ。奪三振は9連続を含む13個。全球真っ直ぐで、県内で一、二を争う高校を相手に素晴らしい投球ができたのである。

「これならプロでもやれるかも知れない」。私の中に急激に自信が芽生えてきて、その直後から毎朝6時に出社して、始業前にランニングを始めた。

 そして年が明けた1977年1月、地元出雲市で広島東洋カープから講師を招いて少年野球教室が開催された。講師は当時一軍打撃コーチの山本一義さん。そして前年に最多勝と沢村賞に輝いたエースの池谷公二郎さん。我々軟式野球部は、グラウンド整備や道具運びなどの手伝いをする事になった。

 野球教室終了後行われた食事会で、私はお二人からプロ野球について直接話を聞き、何とかプロへの道を開きたいと思った。しかし、各球団の公式の入団テストは既に終わっている。

 そこで私は出雲商高で1年生の時に監督を務めていた、法政大OBでプロ野球関係者にも知り合いが多い、谷本(武則)さんに相談してみた。谷本さんは最初は南海ホークス(現福岡ダイエー)の関係者に直接電話をしてくれた。しかし私は「パ・リーグよりもセ・リーグがいいです」と断った。私のわがままを聞いて谷本さんは尋ねた。

 「セ・リーグなら巨人か? 阪神か?」

 私は即座に答えた。

 「同じ中国地方で隣県である広島カープがいいです」

(第4回に続く)

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