◆「投げられなくなりましたので、引退します」
一軍に復帰したのは、9月7日の地元での巨人戦。松井秀喜へのワンポイントとして登板した。 1997年は防御率2.85で9年ぶりに最優秀防御率に輝き、42歳での獲得はプロ野球史上最年長だった。
神宮球場でのヤクルト最終戦で、味方打線が私とタイトルを争っていた吉井理人、田畑一也の両投手を打って、私の防御率1位を確定させたのだが、私は登板予定が無く新幹線で帰広中だった。そこへ選手達から「大野さん、1点取りました」「2点目も取りました」「これでタイトル確定です」など、携帯電話に続々連絡が入ってきたのである。チームメイトの私への想いに対し、改めて感謝した。
1998年は開幕戦となる4月3日の地元での中日戦に42歳7ヵ月で先発し、プロ野球史上最年長の開幕投手となった。しかし6月4日、甲子園の阪神戦での練習中に血行障害が再発したのである。それでも先発したが、2イニングで2点を失い、三村監督に自ら申し入れて降板した。
2年前に担当医からは「再発したら、もう野球は無理でしょう」と言われていた。
だから私は降板後すぐに、球場にいた上土井勝利球団部長(当時)のもとに行って「(血行障害が)再発して投げられなくなりましたので引退します」と告げた。
驚いた部長は、「まだ6月じゃないか。しっかり治してもう一度戻って来い」と言った。本気でシーズン途中で現役を引退するつもりだったが、部長に説得されファームで調整を続けた。
約2ヵ月後、首脳陣の要望で中継ぎとして一軍に帯同することになったが、当然自分のボールは戻っていない。そして復帰4試合目の8月4日、東京ドームでの巨人戦で2点リードの8回裏、2アウト一、三塁で私は先発佐々岡真司に代わってワンポイントで登板した。
東京六大学リーグの通算本塁打記録を更新した、大型新人・高橋由伸との初対決だった。
(第9回へ続く)
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