現役時代には新人王をはじめ、盗塁王、ゴールデン・グラブ賞に輝くなど、カープの主力選手として活躍した梵英心氏。

 カープ退団後は社会人野球エイジェックで選手兼任コーチとしてプレーし、2019年に選手を引退。2020年はJFE西日本硬式野球部のコーチを務め、2021年からはオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが決まった。

 本連載では梵氏の著書「梵脳 失敗したらやり直せばいい。」を元に、梵氏が歩んできた野球人生に迫っていく。

長年カープの主力として活躍した梵英心氏。2021年からオリックス一軍打撃コーチに就任する。

◆無名の高校から大学野球界の名門校・駒沢大へ進学

 梵の激動の野球人生がスタートしたのは小学5年生のときだ。広島県三次市で生まれ育ったスポーツ好きの少年は、ただ友達に誘われ「楽しそうだったから」というのが野球を始めたきっかけだった。

 本気で野球に取り組み始めたのは中学生になってからのこと。部活の練習にも熱が入り、「甲子園に出られるような強豪校で野球をやりたい」という気持ちが日増しに強くなっていった。しかし中学3年のとき、地元の三次高野球部の監督が何の前触れもなく梵の自宅を訪れる。高校3年になる年に同校が創立100周年を迎えるということで、「地元の選手を集めて、甲子園に出場できるチームをつくりたい」と熱烈な勧誘を受けたのだ。

 三次高監督直々の申し出を意気に感じた梵は、同校への進学を決意した。先輩部員が5人だけという、およそ後にプロ野球選手を輩出するとは思えないような環境から甲子園を目指すこととなった。結果的に高校3年間で甲子園出場は叶わなかったものの、入部からわずか1年半で広島県予選ベスト16入りを果たし、旧広島市民球場での試合も経験した。もちろん当時は、まさかこの場所が“将来の職場”になるとは思ってもいなかっただろう。

 三次高野球部監督の母校が駒澤大だったことが縁で、セレクションの末に卒業後は駒澤大に進学した。大学野球界の名門校での猛練習により、大学3年の秋には大学生の全日本代表候補の一人として名前が挙がるようになっていた。その頃『代表候補は4名ずつプロ野球のキャンプに参加できる』という制度があり、梵は中日ドラゴンズの沖縄キャンプに参加。そこで野球選手としての現実を突きつけられることになる──。(#2に続く)

●梵 英心(そよぎ えいしん)
1980年10月11日生、広島県出身。三次高-駒澤大-日産自動車-広島(2006~2017年)-エイジェック(2018年~)。2005年大学生・社会人ドラフト3巡目でカープ入団。2006年に新人王を受賞。2010年には初の打率3割(.306)を達成し、43個で盗塁王、ショートとしてゴールデン・グラブ賞にも輝いた。2013年には選手会長に就任。2017年オフにカープを退団。2018年に社会人野球・エイジェックで選手兼コーチとしてプレー。2019年10月11日に現役引退を発表。2020年にはJFE西日本硬式野球部のコーチを務め、2021年からはオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが決まった。