◆高校進学と共に考え方が変化

 中学卒業後は、真ん中の兄が県立岐阜商高で野球をやっていたこともあり、僕もその背中を追うように同校に入学し、野球部に入部しました。当時の県立岐阜商高は県内でも有数の強豪校として知られていました。中学までは軟式だったので、硬式に変わるということに多少の不安はありましたが、キャッチャーをやっていたこともあり、守備に関してはすんなりと対応できたと思います。

 ただ、入部当初は、『とんでもないところに来たな……』という印象でした。これまで経験したことがない厳しい練習の毎日が続き、最初の1年は、しんどかった思い出ばかりです。朝5時に起き、朝練をして授業。学校が終わったら、16時から21時頃まで練習。帰宅してお風呂に入ってご飯を食べて寝たら、また朝練……その繰り返しでした。また、自宅から高校まで車で約30分。学校が遠かったこともあり、両親に車で送迎してもらうことも多かったです。親は本当に大変だったと思いますね。

 猛練習の甲斐もあり、高校2年の夏には、キャッチャーのレギュラーとして甲子園に出場することができました。初戦を突破し二回戦でPL学園高と当たるのですが、僕は初戦でケガをしてしまい欠場。当時のPL学園高は、高校野球界では特別な存在だっただけに、試合で対戦してみたかったという思いは今でもありますね。甲子園には高校3年の夏にも出場しました。一回戦で、プロ注目の左腕・川口知哉投手(元オリックス)がいた平安高と対戦しましたが、僕の盗塁失敗がきっかけで先制のチャンスを逃すと、その直後から失点を重ね敗戦。盗塁死から流れが変わっただけに、バカなことをしたな……と反省しています(苦笑)。(続く)

【石原慶幸/いしはらよしゆき】
1979年9月7日生、岐阜県出身。県立岐阜商高-東北福祉大-広島(2001年ドラフト4巡目)。プロ2年目の2003年に116試合に出場して一軍に定着。以降は長年カープの主力捕手として活躍。2009年にはWBC日本代表に選出され世界一を経験。2010年には前田健太(現ツインズ)と共に最優秀バッテリー賞を受賞。2016年には正捕手として25年ぶりのリーグ優勝に貢献し、セ・リーグ最年長の37歳で初のゴールデン・グラブ賞、ベストナインを獲得。野村祐輔と共に自身三度目の最優秀バッテリー賞に輝く。2020年限りで現役引退。2021年からはプロ野球解説者として活動する。