2001年ドラフト4巡目でカープに入団し、捕手として活躍した石原慶幸氏。25年ぶりの優勝、球団初のリーグ3連覇。記憶に新しい節目の瞬間には、正捕手・石原氏の姿があった。カープ一筋19年のプロ野球人生。悔しさも歓喜も知り尽くした名捕手の野球人生を、数回にわたり石原氏の言葉で振り返っていく。

キャプテン就任時は葛藤も抱えていた石原慶幸氏。左は現役時にポジションを争った倉義和・現カープ一軍バッテリーコーチ。

 マーティーが監督をしていた時代のことで言えば、護摩行に初めて行ったのが2006年のシーズンオフのことです。この時期、『何かを変えなければ自分はダメになる』と思い、金本知憲さん(当時阪神)と共に参加されていた新井さんに同行を直訴しました。

「護摩行で野球が上手くなるのか」と言われることもありましたが、僕の中では自分の根本の部分を変えることが目的でした。実際に体験したことで“苦しいときの心の拠りどころ”ができましたし『どんなに苦しいことがあっても、護摩行の苦しさに比べたら大丈夫』と思えるようになりました。

 そんな矢先とも言える2007年オフに、黒田さんがメジャーリーグへ、新井さんが阪神へと、FA移籍することになったのです。当時低迷が続いていたカープのエースと4番が同時に抜けるんですから、正直『どうやって戦えばいいのか』と思ったのは事実です。

 チームにとって大きな柱を失ったわけですが、翌2008年には4年ぶりの開幕スタメンとなり、結果的に123試合に出場することができました。打撃面では規定打席にも到達できましたし、打点においてはキャリアハイの数字も残すこともできました。さらに監督推薦で初めてオールスターゲームにも出場させてもらうなど、選手として転機とも言えるシーズンになりました。