◆卓越したリードで投手陣を牽引した達川光男

 高橋の背番号変更で空いた「40」を、1978年から継いだのが、ドラフト4位で入団した達川光男だ。地元・広島出身で広島商時代は、2度甲子園に出場し、準優勝と優勝という結果を残した。当時からカープ入りを熱望していたが、捕手としての力をさらに高めるべく東洋大に進学。そのアマチュア時代の活躍が評価され、カープからの指名を受け入団した。

 プロ6年目の1983年に正捕手の座をつかむと、1984年以降は、ベストナインとゴールデングラブ賞を3回ずつ受賞。卓越したリードと捕球技術、ささやき戦術とも言われる機知に富んだ話術で、カープ投手陣を支えた。

 1992年限りで現役を引退。現役生活15年間を背番号「40」ひと筋で通し、1998年にはカープの二軍監督に就任。翌1999年から2シーズンは一軍監督も務めた。その後は、他球団のコーチや野球解説者として活躍を続けている。

◆捕手として19年の現役生活をおくった倉義和

 達川の15シーズンは、他の背番号なら最長記録になってもおかしくない年数だが、これを更新したのが倉義和だ。ドラフト5位で入団した1998年から引退した2016年まで、19シーズンにわたり、「40」を背負い続けた。

 現役時代は、同じ捕手の石原慶幸と切磋琢磨を重ね、黒田博樹や高橋建といった投手と相性がよく存在感を示した。長く現役生活を続けられた一つには、故障が少なかったことも挙げられるだろう。2016年シーズンは二軍バッテリーコーチを兼務し、この年限りで現役を引退。以後もカープのコーチを務めている。

◆打撃で存在感を示す磯村嘉孝。11年目の意地に期待

 その後を受けて「40」を着けたのが、「61」から変更した磯村嘉孝だ。中京大中京高で優勝を果たし、2010年ドラフト5位で入団した磯村は、2012年に一軍デビュー。2016年に24試合と出場機会を増やすと、2017年から「40」を背負うことに。2019年には打撃で存在感を示し、自身最高となる65試合に出場した。

 今季は一塁守備にも挑戦するなど、新たな道を模索している。歴史ある「40」を託された、11年目・磯村の活躍を楽しみに見守りたい。

【背番号『40』を背負った主なカープ選手】
高橋慶彦(内野手/1975年-1980年-1977年)
達川光男(捕手/1978年-1992年)
倉 義和(捕手/1998年-2016年)
磯村嘉孝(捕手/2017年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。