新人ながら、開幕からクローザーとして大車輪の活躍を続け、東京五輪の日本代表にも選出された栗林良吏。日本代表でもクローザーとして悲願の金メダルに貢献した。ここでは、後半戦もカープの守護神として期待される栗林が、ドラフト直後の独占インタビューで話した言葉を振り返る。(『広島アスリートマガジン』2021年1月号掲載)

カープの守護神として活躍を続ける栗林良吏投手。

◆山内さんと出会えたからこそ、今の僕がある

─本格的に投手を始めたのは大学に入学してからと聞きました。

「そうですね。それまでは主にショートをやっており、投手はかじる程度でした。高校2年の秋の大会から試合で投げてはいましたが、投げ込みなど、投手としての練習はほとんどやっていませんでした」

─投手としてプロを目指そうと思われたのはいつ頃からなのでしょうか?

「大学2年の冬に、元中日の山内(壮馬)さんが投手コーチで来てくださり、プロの話を聞くうちに、プロ野球選手になりたいという想いが芽生えてきました。そして大学3年の時に、日本代表に選んでいただき、高いレベルでやっている選手はプロを目指していると感じ、自分もプロの世界に挑戦したいという気持ちになってきました」

─山内コーチからはどういったことを教わったのでしょうか?

「投手としての全てを教わりました。先ほども言いましたが、もともと野手をやっていて、野手の延長で、速い球を投げられたら良い、変化球も大きく曲がれば良いと考えていました。ただ山内さんと出会い、投手の心構えや立ち居振る舞いなどを学んだことで意識が大きく変わりました。また、今も持ち球として使っているフォークも教えてもらいました。山内さんと出会えたからこそ、今の僕があると思っています」

─カープから指名され、山内さんからはどんな言葉を贈られましたか?

「山内さんは大学生・社会人ドラフト1位(2007年)で指名されましたが、1位指名ということもあり、最初から焦って調整しなくても良いと思われていた結果、出遅れてしまったそうです。それを踏まえて、特に僕は社会人出身なので、『スタートからしっかりアピールして、1年目から活躍できるように頑張れ』と言ってくださいましたね。また、『プロ野球選手はいろいろな意味で切り替えが大事だから、それを意識して今から練習しておけ』ともアドバイスをいただきました」

──大学4年時はドラフトで指名されませんでした。当時はどういった心境だったのでしょうか?

「プロに入れなければ、トヨタで野球をするのは決まっていたので、もうプロ野球選手は諦めて、トヨタで一生野球ができたら良いなと思っていました」

─もう一度、プロになりたいという思いが芽生えたのはいつ頃でしょうか?

「同期入社のなかに、僕と同じようにドラフト指名漏れで入ってきた選手が何人かいました。その選手達は、もう一度プロを目指すという強い気持ちで野球と向き合っており、彼らから刺激を受けるうちに、チャンスがあるならプロに行きたいという気持ちに変わってきました」