お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、2007年にカープに在籍。ナックルボーラーとして注目を浴びたジャレッド・フェルナンデス投手を取り上げます。

投手とは思えないふっくらとした体型に愛嬌のある笑顔が印象的だったフェルナンデス投手。

◆本人を見た瞬間「何かやってくれる」という確信へと変わった

「人はナックルボールに夢を見る」そんな言葉があるかは分かりませんが、野球好きならば誰もがナックルボーラーにロマンを感じるのではないでしょうか。

 遅い球が揺れて落ちる。それだけで強打者を討ち取る。こんなにワクワクすることはありません。私もナックルボーラーと聞くとその選手に異常なほどの期待をしてしまいます。

 カープは特にナックルボーラーに対する熱が他球団より高いイメージがありますね。今年自由契約にはなってしまいましたが、佐々木健投手はナックルボーラーとして日々鍛錬を積んでおりましたし、今年育成で指名された坂田怜投手も期待のナックルボーラーです。

 そんなナックルボーラーの先駆けともいうべき選手が、かつてカープに1年だけ所属していたジャレッド・フェルナンデスなのです。

 フェルナンデスが日本に来たのは2007年。カープがなかなか勝てずファンも心が揺れ動く時期でした(ナックルだけに)。しかしあるニュースがカープファンをざわつかせます。

「カープがナックルを投げる助っ人を取った」

 このニュースを聞いた時ほとんどのカープファンが思ったことは「カープが変なことをやったな」でした。しかし心のどこかでワクワクしていたのも事実。そしてそのワクワクは、フェルナンデス本人を見た瞬間「何かやってくれる」という確信へと変わります。

 ピッチャーとは思えないふっくらとした体型に愛嬌のある笑顔。さらには母国で『風雲たけし城』を見ていたという強すぎるエピソードまで。キャラの大渋滞助っ人はいやがおうにも我々ファンの心を昂らせました。

 さらにフェルナンデスグッズを球団が製作。揺れる球ナックルボールにかけた『赤ふんどし』の販売が発表されます。今にして思うと、ほんとにみんなどうかしていたのではないかというほどの熱狂でした。

『魔球』と書かれた赤ふんどしをフェルナンデスが堂々と身につけお披露目していた姿を今でも鮮明に覚えています。思えば球団のユニークオリジナルグッズ製作はこれを皮切りに始まった気がします。フェルナンデスの存在はカープ球団の経営理念すら変えたのです。そう考えるとフェルナンデスの存在はどんな助っ人より大きいのかもしれません。

 しかし肝心のピッチングはというと、残念ながら初登板で10失点という結果となります。何球かは「これが見たかったんだ!」というナックルではあったのですが、やはりどこに行くのかわからないナックル。『行き先はボールだけが知っている』とギャンブルのようなピッチングが続きます。結局日本での成績は3勝8敗。来季の契約を結ぶことはなく、憧れだった(風雲たけし城に出ていた)東国原さんとのツーショット写真を胸に帰国となりました。

 あの日確かに我々はあのフェルナンデスのナックルボールに夢を見ました。あの100キロも満たないボールにロマンを感じました。

 ナックルボーラーとして活躍する。それは大谷翔平の二刀流と同じくらい難しいことなのかもしれません。しかしそんな夢物語も挑戦しなければ叶うことはないのです。日本でまだ誰も成し遂げられたことのないナックルボーラーとしての活躍。フェルナンデスの意思を継ぎ、カープで坂田選手が現実のものにしてくれることを願います。そしてそんな坂田さんを見にフェルナンデスが来日し、今度はビートたけしさんと会えますように。

 

ザ・ギース 尾関高文(おぜきたかふみ)
広島県東広島市西条町出身のお笑い芸人、熱狂的なカープファン。好きな歴代カープ選手はロビンソン・チェコ投手。 2012年に出演したアメトーーク「広島カープ芸人」で、「カープ OB の北別府さんはブログのコメントに全て返信する」と語り、北別府氏のブログを炎上させた経験を持つ。

[尾関高文公式Twitter]@geeseojeck