迫田守昭は古豪・広島商の復活に加え、広島新庄を初出場含む4回の甲子園出場に導いた。また、広島新庄で田口麗斗(ヤクルト)と堀瑞輝(日本ハム)らを輩出するなど勝利と育成両面で手腕を発揮してきた。

来春から市立福山の監督に就任する迫田守昭氏

 来春からはかつての広島新庄と同じく、野球での実績は皆無の市立福山で監督に就任と、情熱は衰えることを知らない。

 田口や堀の活躍もあり特に「左腕育成」が得意な印象があるが、一方で広島新庄OBは「迫田さんは左腕の育成も上手いですが、左腕の攻略も得意ですよ」と語っていた。その真意を尋ねた。

「何かにつけて左ピッチャーは有利なのです。数がそもそも少ないですから、打つ練習をなかなかできない。だから打てる確率が若干落ちるのだと考えられます」

「左ピッチャーに投げてもらう経験が多ければ打てるようになるわけですから、たとえエースにならなくても、私は左ピッチャーがどんどん来て欲しいと思っています。“広島新庄では左ピッチャーが成功してプロに行っている”ということもあってか、面白いことに左ピッチャーがこぞって来てくれました。私が監督していた時は、15、6人ピッチャーがいるうちの10人以上が左ピッチャーだったこともありました」

 対戦校の投手が左腕だと「しめた」と思うほどでもあるという。他にも攻略の糸口があるからだ。

「左ピッチャーはけん制の上手い子とそうでない子がはっきりとしている。器用な子と器用ではない子の差がもろに出ます。けん制が上手くない子の時は簡単に走れるんです」

 牽制の上手さを計るために大きなリードを取る。基本は「戻る」姿勢で待つ。目の前での大きなリードに驚いた投手が牽制をして来たら余裕でセーフ。そして、その癖を見抜く。「基本的に戻る」と投手に思わせたら、その隙と癖を突いて走る。相手にすると実に厄介な手法だ。

 揺さぶる手段も様々で、第3回で紹介したように「3年間で公式戦に一度使うかどうか」のプレーも練習で教え込むことも多い。

 これには相手に対して「何をやってくるか分からない」と思わせることに加え、自分たちのチームにも大きなプラスがある。

「 “攻略が難しい相手にもこうすれば点を取れる”というチームの自信になります。だから、こういう練習は必要なんです。“ウチにはこんな武器があるんだ”と思えることが大事。武器は、持っているということだけで安心できますからね。そういう隠し味が本人たちの自信になります。だから、たとえ3年間で一度も使わなくてもいいんです」

 こうして広島新庄を強豪校に育て上げ2020年春をもって勇退したが、来春からは三たび広島の高校野球で旋風を巻き起こすべく市立福山で指揮を執る。来年9月で77歳になるが情熱は一切衰えていない。

「今の高校野球は甲子園を含め、“良い選手を集めて、良い選手が活躍すれば勝てる”という状況になっています。一方で、市立福山高校は進学校で部員が19人しかおらず現段階では甲子園のコの字もない。でも“頭の良い子たちがどういう野球をすれば強豪校になれるかな?こう考えるとゼロに返って、基本からやらせてもらえる”と思って指導を引き受けました」

「広島から甲子園に出るチーム、勝ち進むチームが限定されていて、ほとんど代わり映えがしない。新興勢力の台頭が必要です。その中で市立福山では“学業ありきで野球も頑張る”という高校野球の基本を追求していきます。少ない人数で個々の能力は劣っても全員の総力で勝てるチームを目指します」

 兄で現在82歳の迫田穆成も県立竹原で指揮を執っており兄弟対決がまた観られるかもしれない。そして、広島の高校野球界にさらなる新しい風を吹かせるかもしれない。今後の迫田守昭からも目が離せない。

●迫田守昭(さこた・もりあき)1945年9月24日生まれ。現役時代は広島商業-慶應大-三菱重工広島で捕手としてプレー。その後、三菱重工広島の監督に就任し、1979年都市対抗で初出場初優勝を果たす。2000年に母校である広島商業の監督に就任し、2002年春、2004年夏に甲子園出場。2007年に広島新庄の監督に就任すると、春2回、夏2回甲子園出場に導くなど、13年間指揮した。2020年3月に監督退任。2022年4月より、福山の監督に就任予定。