球場で流れる『それ行けカープ<著名カープファン・リレー映像>』に出演。自身の入場テーマ曲が18年からチャンステーマ(『攻めろ!』)として使用されるなど、熱狂的な鯉党として知られる“プロレス界の4番”内藤哲也が広島アスリートマガジンWEBに乱入! 制御不能な男が、ほとばしるカープ愛、そして新日本プロレスを語り尽くします!
※毎月第2、第4金曜日掲載。

 

 広島アスリートマガジンWEBをご覧の皆様、2週間ぶりの内藤哲也です。毎年マツダスタジアムに足を運んでいますけど、昔の旧広島市民球場(以下、市民球場)にも何回か行ったことがあります。初めて市民球場に行ったのは、忘れもしない2003年4月23日。当時、ファンとして新日本プロレスの広島大会を見に行って、その大会で永田裕志選手が安田忠夫選手を倒してIWGPヘビー級王座を防衛しました。

 永田選手はその後、高山善廣選手に敗れて失冠するんですが、橋本真也選手の持っていた防衛回数9を更新する10度の防衛に成功しました。後に棚橋弘至選手、オカダ・カズチカ選手が記録を更新しますけどね。ちなみに現在、そのベルトを持っているのは誰だか分かりますか? そう、内藤哲也です。おっと、まったくカープに関係のない情報でしたね(笑)。

 新日本プロレスの大会翌日、オレは市民球場での横浜ベイスターズ(現DeNA)との試合を見に行こうと思っていました。初めての市民球場ですから、前日からドキドキして寝られなかったですよ(笑)。「いよいよ市民球場に行ける!」と思って楽しみにしていたんですけど、当日はまさかの雨……。「頼むからやんでくれ!」って祈りましたけど、結局、雨天中止で試合は見られませんでした。内藤哲也、20歳の春のホロ苦い思い出です……。

 市民球場での初観戦失敗から4年後、ついにリベンジの時がやって来ました。すでにプロレスラーとしてデビューをして、巡業にも出るようになっていた2007年9月。新日本プロレスの広島サンプラザ大会と同日に、市民球場でヤクルト戦があったんです。事前にチケットを買っておいて、大会が終わったあとに途中からでもいいから見に行こうと思っていました。

 ただ、なんとその日も夕方から雨! また中止か……と思ったんですけど、そのときは雨が小降りになるのを待つため、試合開始時間を遅らせていたんです! 大会が終わったあとに大急ぎで市民球場に向かったんですけど、開始時間が遅れたおかげで試合も序盤から見ることができました。内藤哲也、25歳の秋の良き思い出です(笑)。