◆史上最年長の42歳で開幕投手を務めたサウスポー

 その翌年、1980年に「57」から変更して「24」の持ち主となったのが、大野豊。軟式野球出身で1977年にドラフト外入団という異色の経歴の持ち主で、初年の登板は1試合のみ。しかも1イニングもたず5失点、シーズン防御率が「135.00」を記録する結果となった。だが2年目からは江夏豊の指導を受けてフォームを改善。これが転機となり、カープを代表する投手の一人へと急成長を遂げていく。

 1981年には兄貴分・江夏の移籍を受けてリリーフエースに抜擢され、1982年には10勝11セーブを挙げる。1984年からは先発を任され、同年の日本一、1986年のリーグ制覇にも貢献。1988年には1.70で最優秀防御率、1991年には26セーブで最優秀救援投手とタイトルも獲得。

 その後はクローザーと先発の両方でチームを引っ張り、1997年には再び最優秀防御率2.85も獲得。翌1998年には史上最年長の42歳で開幕投手も務めた。持病の悪化もありこの年限りで現役を引退したが、「24」を背負ってのプレーは19シーズンに及び、もちろん現在までの最長記録となっている。

 大野の引退で空いた「24」は1年のブランクの後、2000年にはドラフト1位入団選手のものとなった。それが河内貴哉だ。国学院久我山高では甲子園出場こそならなかったものの、1999年のドラフト会議では3球団が競合する注目ぶり。その中で射止めたのがカープだった。

◆長いリハビリを経て執念の復活

 ルーキーイヤーの2000年には、5月にプロ初勝利を挙げ、2004年に23試合に登板。8勝を挙げオールスターにも出場。2006・2007年にはリリーフとして奮闘したが、2008年に肩の手術をして長期離脱。リハビリに長い時間を要することもあり、球団とは育成選手として契約。その際、背番号は「124」に変更となった。

 だが河内と背番号「24」の足取りは、ここで終わらなかった。リハビリと二軍での調整を経て、2012年5月に再び支配下選手登録されたのを受けて背番号も「24」に復帰。同年8月には8年ぶりの勝利も挙げて完全復調。翌2013年にはキャリアハイの34試合に登板した。2015年に現役を引退したが、一度はどん底に落とされながら戻ってきた不屈の闘志は、「24」の、いやカープの歴史に残るものとなった。

 河内の引退翌年、2016年にはドラフト2位入団の横山弘樹に「24」が与えられた。大学・社会人野球で活躍してプロ入りし、初年は開幕から先発ローテーションに入ると、デビュー戦で初勝利。この年は6試合に登板し2勝を挙げたが、シーズン後に肩を負傷。これが響いて以後は一軍登板の機会が得られず、2019年限りで無念の引退となった。

 40歳を超えても第一線で活躍した大野豊。手術を行い、長いリハビリを経て復帰した河内貴哉。「24」の歴史で光るのは「不屈」の言葉が似合うこの2投手だ。2020年から持ち主不在の状態が続いているこの背番号は、今季、即戦力左腕として期待のかかる新人の黒原拓未(2021年ドラフト1位)に託された。

【背番号『24』を背負った主なカープ選手】
ヒックス(外野手/1973年-1974年)
渡辺弘基(投手/1975年-1979年)
大野 豊(投手/1980年-1998年)
河内貴哉(投手/2000年-2009年/2012年-2015年)
横山弘樹(投手/2016年-2019年)
黒原拓未(投手/2022年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。