広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。ここでは、2021編集部セレクションとして、昨年特に反響の多かった記事を振り返る。

 今回は、時代を彩ったカープ選手の足跡を背番号と共に振り返る企画。内野手のイメージが色濃い背番号「2」を取り上げる。(2021年1月28日掲載記事を一部編集)

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◆球団創設時は高校野球と同じく捕手の番号として認識

 近年のファンにとって今回取り上げる背番号『2』は、俊足の内野手、リードオフマンのイメージが強いと思われる。ところが球団創設時は高校野球と同じく捕手の番号としてあてがわれ、野手が付け始めたのは1958年から。現在ではカープに限らず、将来を嘱望される俊足巧打の内野手が背負うというイメージが強くなっている。

 カープで内野手、俊足、リードオフマンのイメージを印象付けたのは髙橋慶彦だ。古葉竹識監督の指示でスイッチヒッターに挑戦した髙橋は、猛練習のすえにレギュラーに定着。俊足巧打の1番ショートとして昭和黄金期の立役者となった。

 盗塁王3回(1979年、1980年、1985年)、当時表彰がなかったとはいえ1980年にはリーグトップの安打数(169)を記録し、山本浩二、衣笠祥雄らと共に古葉野球を体現した。1990年にロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に移籍するまで、カープの中心選手として名を馳せた。

引退後は解説者、タレントとして活躍。広島市民球場(旧市民球場)で行われた『OBオールスターゲーム』では、久しぶりにカープのユニホームに袖を通した。

 髙橋の活躍でリードオフマン的なイメージがついた背番号2だが、面白いことにこの番号を継いだのは球団史上最高(当時)の契約金、年俸で入団した“捕手”の瀬戸輝信。西山秀二とのポジション争いに敗れたこともあり5年で『28』に変更となったが、今となっては捕手が背負った逆にレアな5年間となった。

2022年シーズンからは、一軍野手総合コーチに就任する東出輝裕コーチ。

 4年の空白を経て背番号2を引き継いだのが、カープの二軍打撃コーチを務めた東出輝裕だ。敦賀気比高からドラフト1位指名を受けて入団した東出は、高卒新人ながら1年目から78試合に出場し、53安打、7打点、8盗塁をマーク。以降、ルーキーイヤーに一軍昇格を果たした野手が鈴木誠也、坂倉将吾、小園海斗の3選手だけという事実が、チームの低迷期とはいえ東出の非凡な才能を表している。

 そして現在、背番号2を背負っているのが2020〜2021年まで選手会長を務めた田中広輔だ。入団時につけた背番号63も、丸佳浩、田中、西川龍馬と続く出世番号だが、やはりリードオフマンのイメージが強い田中には背番号2がよく似合う。ここ数年は思うような成績を残せていないが、今季こそは『2』のイメージ通りの活躍を期待したい。

2021年は打率.206に終わった田中広輔。リードオフマンの復活を待ち望むファンも多い。

【背番号『2』を背負った主なカープ選手】
宮川(村上)孝雄(外野手/1960-1974年)
苑田聡彦(内野手/1975-1977年)
髙橋慶彦(内野手/1978-1989年)
瀬戸輝信(捕手/1991-1995年)
東出輝裕(内野手/2000-2015年)
田中広輔(内野手/2016年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。