1996年12月の入団会見で父・一博さんとの一枚。一博さんは南海で活躍した元プロ野球選手だ。

◆黒田が考えるエースの条件

 2015年オフには黒田の去就に注目が集まったが、現役続行を表明。しかし若きエース・前田がポスティングシステムを利用してメジャー挑戦が決まった。周囲からはチーム力ダウンが懸念がされたが、黒田は元エースとしてこの事実をプラスに捉えていた。

 「マエケン(前田健太)がいなくなるということは、絶対的エースがいなくなったということ。逆にその危機感から投手陣、チームが良い意味で一つになれたと思います」

 プロ20年目、現役最後のシーズンとなった2016年は、満身創痍の体ながらも快進撃を続けるチームを支えた。7月には日米通算200勝も達成した。だが、自分自身の記録には全く興味などなかった。

 「純粋に自分のために野球をすることはないと思っていますし、チーム、そしてカープファンの人たちに喜んでもらいたいという気持ちしかありません」

 精神的支柱として投げ続ける姿は、復帰2年目にしてさらに若手投手陣へ好影響を与え、チームの勢いは衰えることなく優勝へ突き進んだ。

 そしてマジック1で迎えた9月10日、東京ドームでの巨人戦で黒田は先発登板。気迫の投球で流れを引き寄せ、黒田はついにカープに優勝をもたらした。低迷期にエースとして投げ続けた黒田にとってはプロ入り初優勝。歓喜の輪の中で盟友・新井貴浩と抱き合い、男泣きした。

 「日本での優勝はそれまで経験がなく、現役最後に初優勝ということで『これが優勝なんだ』という気持ちがありました。特に僕はカープでなかなか勝てない時期を経験していますし、カープで優勝できたのは、すごく感慨深いものがありました」

 その後日本シリーズ直前に現役引退を発表。日本ハムとの日本シリーズ第2戦では無念の途中降板となり、これが現役最後の登板となった。11月の優勝報告会ではファンの前で別れを告げ、マウンド前で涙を流す姿は、多くのファンの涙を誘った。

 現役引退後、黒田は自身が考えるエース像について、このように語っている。

 「多少変化はしていきましたが、チームによって当然エースはいて、それぞれのチームでエース像は変わってくると思います。僕自身がずっと思っていたのが、『自分の身をこのチームに捧げられる』というマインドを持っている人がエースだと思います。当然たくさん勝つことも大事ですが、僕はそういうマインドの投手でありたいと思いましたし、そういう投手を目指していました」

 低迷期から強い反骨心で完投を積み重ね続けてエースとなり、メジャーでも結果を出し続けた。黒田はその高いプロ意識と生き様を、身を以てカープの若手投手陣に示し続けてきた。黒田が残した魂は、今もなおカープの中に息づいている。