7月7日に発表された、東アジアE-1サッカー選手権2025決勝大会 韓国に参戦する日本代表メンバーの追加招集。田中聡はプロ6年目にして、初の代表入りを果たすこととなった。今季、湘南から広島に完全移籍で加入すると、リーグ戦開幕直後から出場機会をつかみ、存在感を発揮してきた。新天地でのシーズンを戦うMFが、自身のサッカーキャリアを振り返る。(全3回/第2回)

今シーズンは故障による離脱があったものの、開幕からコンスタントに出場を重ねた

昨年はスタジアムで圧力を感じた。味方になると心強くて、頼もしい

—(前編で)『サンフレッチェは選手層が厚い』と話していました。つまり調子を落とせば、代わりになる存在がたくさんいるということです。

 「良い選手が多いので、常に、すごく危機感があります。得点やアシストなどの目に見える結果、得点に絡むプレーが足りないので、もっと増やしていきたいです」

—田中選手のこれまでのサッカーキャリアについても聞かせてください。サッカーを始めた時期と、きっかけは?

 「幼稚園から遊びでボールを蹴っていましたが、本格的に始めたのは小学1年生のときです。2歳上の兄が地元の少年団でサッカーをやっていて、同じチームに入りました。最初からボールを蹴るのが楽しかったです。その頃はポジションも決められていなくて、みんなで交代しながらやっていたので、GKをやったこともあります。3年生か4年生くらいになると、将来プロになりたいと思うようになりました」

—小学6年生のとき(2014年)、地元・長野県のクラブであるAC長野パルセイロがJ3に昇格していますね。

「身近にあったので、パルセイロの試合も見に行っています。でも小学生だったので試合を見るよりも、スタジアムグルメを食べたり、雰囲気を楽しんでいました(笑)」

—パルセイロU−15から湘南U−18に進む頃には、高校卒業後のプロ入りが明確な目標だったと思います。どんなことを意識して練習に取り組んでいましたか。

 「U−15時代のポジションはトップ下で、ボランチをやることもありましたが、ゴールを決めるタイプの選手でした。U−18でも最初は攻撃的なポジションでしたが、あまり通用しなかったんです。それで監督にボランチにコンバートされて、守備を学びました。練習も対人プレーのメニューがすごく多かったので、積み重ねるうちに『自分は守備が得意なんだな』と感じるようになって、気付いたらボールを奪うのが得意になっていました」

—高校3年生だった2020年5月に翌年のトップチーム昇格が決まると、7月に早くもJリーグデビュー(第3節・●2−3、横浜FM戦)を果たしました。

 「当時は新型コロナウイルスの影響で、無観客試合だったんです。スタンドに人がいなくて普段の練習試合みたいな雰囲気だったので、あまり緊張せずにプレーできましたが、プロのスピード感や強度は全く違うと感じました」

—翌年4月のプロ初ゴールは、エディオンスタジアム広島(現ホットスタッフフィールド広島)での広島戦でした。

 「よく覚えています。ゴールを決めるのが好きですし、あの時期は自分の調子も良かったです。試合にも勝ったので(〇1−0)、すごくうれしかったですね」

(後編へ続く)