2008年、プロ2年目の前田健太投手は一軍登板未経験ながら背番号18を託された。

 プロ野球界では、各チームで1988年世代が数多く主力としてプレーしている。その中でもトップクラスの活躍ぶりを見せているのが、現在ツインズに所属している前田健太だろう。日本時代はカープで9年間プレーし、早くからエースとして結果を残し続け、瞬く間に球界を代表する先発投手へと成長を遂げた。

 広島アスリートマガジンは前田がカープ入団直後からメジャーに旅立つまで、数々の独占インタビューを重ねてきた。前田はいかにしてエースへと上り詰めたのか。今回は入団からブレイク直前となる2009年までを、前田が本誌に語った言葉と共に振り返っていく。

 前田健太が背番号34を背負っていたルーキー当時の2007年、チームには18年目の大ベテラン・佐々岡真司、絶対的エース・黒田博樹と新旧のエースが在籍していた。そして、2007年限りで佐々岡は現役引退、オフには黒田がメジャー挑戦を決断。カープ投手陣は急速に世代交代が進み始めていた。

 新たなエース育成が急務となった球団は、一軍登板経験のない高卒2年目の前田に佐々岡が背負ってきたエースナンバー・背番号18を託した。ここから前田はエースへの道を歩み始めることになる。

 「『エグい!』と思いました(苦笑)。背番号が変わるということも1ミリも考えていなくて。しかも18番。でも光栄ですね。僕もその意味は分かっていますし、来年こそやってやる、という気持ちが強まりました。自覚を持ってやらないとダメだと思うし、この番号をもらったことが良い方向に行くと思います」

 負けん気が強く、底抜けの明るさを持つ19歳の若武者は、背番号変更に重圧を感じることもなく、むしろ意気に感じていた。当時のカープは低迷期の真っ最中。投手陣の精神的支柱・佐々岡、エース黒田が抜けたことで大幅な戦力ダウンが懸念されていたが、プロ2年目を迎える直前の前田はどこまでもプラス思考だった。

 「(佐々岡、黒田が抜けたことを問われ)やっぱりチャンスだと思います。上の人たちはチーム事情が気になると思いますが、自分たち若手としてはチャンスですから。口では寂しいですと言っても、心の中ではチャンスだと思っています(笑)」

 投手陣再編が急務となったカープ投手陣の中で、背番号18の前田は目の色を変えて一軍ローテ入りを目指した。