1979年、カープが球団創立30年目にして球団初の日本一を勝ち取ったこの年は、チーム防御率1位に輝いた投手陣の奮闘を抜きには語れない。ここでは投手陣全体の特徴、ならびに2度目のリーグ優勝&日本一を成し遂げた主力投手2選手のエピソードを紹介する。

 1979年は若手の台頭が多く見られた年でもある。昭和の黄金期を築く山根和夫、大野豊が台頭したのも、この年から。チーム防御率が3.74はリーグ1位。若手だけではなく、すでに実績を残していた池谷公二郎、福士敬章も持ち味を発揮した。その結果、山根、福士、北別府学が防御率トップ10にランクインし、中継ぎの大野もリーグ最多の58試合に登板。着々と投手王国の基盤は築かれつつあった。

 そして分厚い先発陣をさらに強固なものにしたのが抑えの江夏豊である。守護神ながら9勝を挙げ、救援投手としては日本球界初のMVPを獲得。古葉監督からの信頼は絶大で、「ここぞ」という場面で幾度となくマウンドに送り出された。その江夏の代表的なシーンとも言えるのが、近鉄との日本シリーズ第7戦。今や伝説となっている“江夏の21球”など、シーズンを通じてことごとく自チームのピンチの芽を摘み取った。

◆古葉竹識監督から絶大な信頼を受けた守護神 江夏豊

リリーフ転向3年目に、再び大輪の花を咲かせた江夏。最優秀救援投手に輝いた。

【1979年成績】
55試合 9勝5敗22S 防御率2.66  104.2回

 古葉監督が熱望する形で、前年に南海から移籍した江夏豊。2年目となる1979年はリリーフとして、キャリアハイとなる55登板を果たした。

 監督からは抑えの切り札として絶大な信頼を寄せられ、ピンチの場面では例え複数イニングをまたぐ形となっても構わず投入された。かつて在籍した阪神、南海では優勝経験はなかったが、1979年は自身の手で初のリーグ優勝、初の日本一をたぐり寄せた。

 最優秀救援投手のタイトルを獲得する文句なしの活躍で、シーズン後には自身初、そしてリリーフ投手でも初となるMVPの表彰を受けた。

◆抜群の制球力でチームトップの17勝をマーク 北別府学

北別府学ら若手投手の台頭で、カープが第一次黄金期を築き上げた。

【1979年成績】
36試合 17勝11敗  防御率3.58  215.2回

 高卒入団ながらルーキーイヤーに初勝利を挙げ、2年目から先発ローテーションに定着。4年目の1979年は池谷公二郎、山根和夫と共に先発の柱として獅子奮迅の活躍を見せた。

 池谷らが速球を持ち味にするのに対し、北別府は針の穴を通す制球力で打者と対峙。リーグ最多となる4度の無四球試合を記録した。精密機械と称された制球力で打者を翻ろうした右腕は、最終的に前年の二桁勝利に続きチームトップの17勝をマーク。優勝を手繰り寄せる大きな原動力となった。