2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。

 共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを佐藤氏の証言』と共に振り返っていく。

前編はこちらから。

双子の弟という以外にも共通点の多かったという佐藤寿人氏と森﨑浩司氏。

◆現役最後のホームゲームでゴールを決めて一緒に喜ぶ

 2005年に広島に加入して住む家を決めたら、偶然、浩司の家の近くだったんです。練習に行くときは僕が浩司の家に寄り僕の車で向かったり、入れ替えて浩司の車で向かったりしていつも一緒でした。帰りも一緒に昼食を食べたりして、あの頃はカズよりも僕の方が、浩司といる時間が長かったかもしれません(笑)。

  練習のこと、初めて住む広島の街のこと、たくさん話をして、より2人の関係は密になりました。加入1年目の僕は初得点まで時間がかかりましたが、浩司は励ますのではなく、普通に接してくれたことが、とてもありがたかったです。

 浩司の代名詞の一つである直接FKでは、良いものを何回も見せてもらいました。僕がこぼれ球に詰めようとしても、そのまま決まることが多かったですね。

 出会ったときに感じたキックのうまさはこの時期、さらに精度が上がり、サンフレッチェの武器になっていました。

 僕がプロキャリアでゴールを決めたとき、同じ試合で、最も多く得点しているのは浩司なんです。お互いのアシストから決めたゴールもあり、何度も一緒に喜ぶことができました。 浩司がオーバートレーニング症候群で離脱したときは、会って話をしたり電話をしたりしました。カズが離脱したときも感じましたが、地元出身ゆえに、結果が出ない時期はネガティブな声を聞くことが多かったのだろうと思います。

 仲間として守ってあげられなかったという思いもありますが、離脱しても必ず復帰してきたのは、浩司のたくましさと、家族の支えがあったからに違いありません。

 2012年にJ1リーグで初優勝し、浩司とカズがチャンピオンフラッグを掲げたときは感動しました。僕はキャプテンとして優勝シャーレを掲げましたが、それまでの歴史や貢献を考えれば、2人も掲げるのにふさわしい存在でした。

 2016年、浩司が引退を決断するまでの過程でも、たくさん話をしています。

 ホーム最終戦で一緒に先発することが決まったときは「ゴールを決めて、浩司の花道を飾るよ」と約束しました。15分に先制点を決めて約束を果たした後、浩司が33分に2点目を決めて、一緒に喜んだのは忘れられない思い出です。

 現役最後のホームゲームで自らゴールを決めて勝ち、セレモニーで万雷の拍手を浴びる。これ以上ない形でスパイクを脱ぐ浩司がうらやましかったです。

 引退後の浩司がサンフレッチェのアンバサダーとして活動を始めてからも、カズを加えた3人で食事に出かけたりしました。コロナ禍の近年は難しくなっていますが、昨年は山口県で行われた日本代表OB戦に3人で出場しました。一緒にプレーしてみると、やっぱり浩司もカズもうまいですね。近い位置でプレーした浩司は、サポートの角度、その後の動きなどが現役時代と同じで、試合をしながら懐かしくなりました。

 浩司は、双子の弟で、左利きで、プロサッカー選手で、チームメート。僕との共通点がたくさんある『似た者同士』です。

 現役時代、一緒にユニホームに3つの星をつけた大切な存在だけに、いつかカズも含めた3人で、現役時代とは違う形でサンフレッチェに新しい星をつけることができれば、こんなに素晴らしいことはありません。

《プロフィール》
森﨑浩司(もりさき・こうじ)
1981年5月9日生、広島県出身、ポジション・MF
サンフレッチェ広島/2000年〜2016年
双子の兄・和幸とともにユースからプロになり、2016年限りで引退するまでサンフレッチェ一筋でプレー。2012年以降の3回のJ1優勝に貢献し、2004年にはU-23日本代表としてアテネ五輪に出場した。引退後はクラブのアンバサダーを務めている。