2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。
本連載では、佐藤氏と共に紫のユニホームを着たチームメートがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを振り返っていく。
◆最初からウマが合った。サッカー以外の恋愛話も
浩司との出会いは、僕が市原(現千葉)ユース、浩司がサンフレッチェ広島ユースでプレーしていた高校3年生のとき。
カズ(森﨑和幸)、コマちゃん(駒野友一)と初めて会ったときと同じ、Uー18日本代表の候補メンバーの合宿でした。 浩司とカズ、最初は全く見分けがつかなかったです(笑)。当時は髪型も同じでしたからね。
でも、浩司とは最初からウマが合いました。僕も浩司も双子の弟で、しっかりしている兄とは対照的に、自由に思ったことを発信する性格だったことも影響していたと思います。
それからも合宿があれば常に一緒で、海外遠征では2人で買い物に出かけたりもしました。 プロになったら、どんなキャリアを歩みたいのか。それぞれのクラブのトップチームには、どんな選手がいるのか。自分の置かれている状況はどうか。いろいろな話をしました。
当時の携帯電話はスマホではなくPHSで、合宿以外のときも電話したり、ショートメールを送ったりしていました。お互いの恋愛話もしました。一つだけコソッと秘密を明かすと、浩司は面食いなんですよ!(笑)
プレーの第一印象は、カズとも共通していて、とにかくキックがうまかった。
長い距離でも短い距離でも、狙ったところに、いろいろな球質で蹴ることができるんです。同じレフティーでも当時の僕にはできなかったので、どうやればできるのか、いつも観察していました。 単なるパサーではなく、状況に応じてパスの出し手にも受け手にもなることができる浩司は、器用で、サッカーIQも高かったです。プロ2年目の2001年に、Jリーグ初ゴールを含む2得点を挙げた試合(9月29日・アビスパ福岡戦)は、とにかく衝撃が大きかったです。
2003年、僕が所属していた仙台がJ2に降格し、サンフレッチェからオファーを受けたときは、仙台残留を決めた後に浩司に報告しました。ただ1年後、再度オファーを受けたときは、その時点で連絡しています。サンフレッチェは得点力が課題だったので「寿人が来てくれたら点が取れるようになるから、来てよ」と言ってくれました。(後編へ続く)
《プロフィール》
森﨑浩司(もりさき・こうじ)
1981年5月9日生、広島県出身、ポジション・MF
サンフレッチェ広島/2000年〜2016年
双子の兄・和幸とともにユースからプロになり、2016年限りで引退するまでサンフレッチェ一筋でプレー。2012年以降の3回のJ1優勝に貢献し、2004年にはU-23日本代表としてアテネ五輪に出場した。引退後はクラブのアンバサダーを務めている。