野手の花形とも呼ばれ、各球団も守備の名手を配置することが多い二遊間。カープでも、梵英心・東出輝裕の同学年二遊間や、タナキクの愛称で人気を博した田中広輔・菊池涼介らが名コンビと呼ばれ、ファンの期待と信頼を集めた。

 2008年に広島が獲得を発表した石井琢朗も、守備の名手として活躍した選手の1人だ。横浜時代には盗塁王、最多安打などのタイトルに輝き、ゴールデングラブ賞を4度受賞した石井は、カープ時代も内野の要としてチームを支えた。

 ここでは、石井が現役時代の2010年12月に収録した独占インタビューを再編集してお送りする。『カープのために何ができるか。勝つために、何ができるか』。 チームの勝利にこだわり続けた男が、当時語っていた思いとは?

マツダスタジアムのベンチから試合を見守る現役時代の石井琢朗。

◆「個人が塊になり、逆襲に」

ー2011年度のキャッチフレーズが『STRIKIN' BACK!! 逆襲』と決まり、ファン感謝デーでは石井選手がお披露目役となりました。逆襲という言葉についてはいかがですか?

「逆襲、逆襲と言っていても、終わってみたら吠えていただけ、というのは嫌ですから(笑)。しっかりとした準備をして、その結果ということですよね。準備もしていないのに吠えるというのは嫌なので、そのためにも『今年のカープは違う!』というのを見せないと。逆襲という目標を掲げたのならば、僕を含めた各個人がしっかりと1年間を戦える準備をしなければいけませんね」

ー準備という意味には補強も当てはまると思いますが、石井選手の元同僚である内川聖一選手は、カープではなくソフトバンクへ入団することになりました。

「補強といっても闇雲に選手を獲っていても仕方がないわけで、不足している部分をピンポイントで補強しなければいけません。そういう意味では内川というのはすごく大きな意味を秘めていたと思いますが、ただ、いない人間のことをいろいろ言ってもしょうがないですからね。今後の補強がどうなるかは分かりませんが、それは当然必要なことだと思います。いずれにしろ新しい選手を獲りにいったことで刺激を受けた選手はいるはずで、そういう選手がどう変わっていくか。補強してチームが変わるのもいいですが、補強せずにチームが変わるのが一番いいですからね」

ープラスにつながる部分もあるということですね。

「僕個人的には今回の動きに関して『見とけよ!』という思いはあります。新聞の記事を見ていると、内川獲得に手を上げても常にカープは2番目に見られていたというか、『どうせソフトバンクだろう』というような感じを受けたんです。カープがバカにされているようで、そういう記事に腹が立ってしょうがなくて。絶対に見返してやりたいという気持ちが出てきました」

ー特にご自宅がある東京では、そういう記事が多いように思います。

「僕自身が反骨心でここまで来た人間ですから、『なにくそ』という思いを力にしていきたいんです。個人的に成績を残したいという思いよりも、とにかくカープに強くなってもらいたい。そして、こういう反骨心は1人でも多くの選手に持っていて欲しいですね。どうしても若い選手が多いチームなので、試合の勝ち負けよりも自分が試合に出る、出られないといったような個人的な悔しさや喜びが多いようなところがあります。段階的には、まだチームが最優先ということになっていないような気がするんです」

ーチームが勝つために何をするか、というところにもっとこだわることが求められますね。

「投手は個人成績が直接的にチームの勝敗に関わるのですが、打者に関しては、例えば打率は勝敗には直結しません。盗塁やホームランの数は見栄えがいいのですが、打点や出塁率の方が貢献度は高い。どのあたりにこだわるかをはっきりして、自分の役割を自覚することが必要でしょうね。個人個人が持ち場で役割を全うできれば、それが塊になって逆襲に繋がっていきます」

=後編へ続く=

《プロフィール》
石井琢朗●いしい・たくろう
1970年8月25日生、栃木県出身
174cm78kg/右投左打
足利工高-横浜-広島(2009年)
2008年、横浜からカープに移籍。安定した守備と打撃でも存在感を示し、芸術的なバットコントロールで規定打席未到達ながら打率3割を記録。2012年に現役引退するまで内野手として活躍した。引退後は2017年までカープでコーチを務め、25年ぶりのリーグ優勝を支えた。現在は横浜DeNAベイスターズの一軍野手総合コーチ。