10月20日に開催される『2022年プロ野球ドラフト会議』。各球団スカウトの情報収集の集大成であり、プロ入りを目指すアマチュア選手たちにとっては、運命の分かれ道ともなる1日だ。

 カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の “眼力” で多くの逸材を発掘してきた。ここでは、広島アスリートマガジン創刊当時(2003年)の人気連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載。カープのスカウトとして長年活躍してきた、故・備前喜夫氏が語った、レジェンドたちの獲得秘話とは。

 今回は、衣笠祥雄氏と並び球団史上最長となる現役通算23年の記録を持ち、監督としてカープを25年ぶりのリーグ優勝に導き、リーグ3連覇を成し遂げた、緒方孝市氏の獲得秘話を紹介する。

選手、コーチ、監督と33年にわたりカープのユニホームに袖を通し続けた緒方孝市氏。

◆担当スカウトの執念から生まれた入団合意

 緒方は入団時、外野手ではなく内野手(セカンド)でした。中学時代からセカンドしか守った事がないそうで、チームにはショートができる選手が既にいたので、セカンドに固定されていたそうです。身長が181センチあり、走攻守三拍子揃った大型内野手として、高校1年時から九州地区担当の村上(孝雄スカウト)が注目していました。

 村上は学校側に熱心に接触しました。しかし緒方自身は「プロでやっていく自信はまだありません。自分としては大学進学を第一に考えています」と言うのです。鳥栖高が甲子園に出場できなかったこともあって、緒方の全国での知名度は高くありませんでした。

 そして緒方が青山学院大への進学でほぼ固まったという事を受けて、それまで緒方に注目していた他球団のスカウトも、彼の指名を諦めていきます。しかし村上は最後まで諦めていませんでした。高校時代の戦歴よりも素材を重視して、若い選手を一人前のプロに鍛えていくカープの育成方針を、学校側にも本人側にもそれまで以上に熱く訴えていきました。

 そして1986年11月20日のドラフト会議でカープは緒方を単独指名しました。指名順位こそ3位ですが、評価はそれ以上に考えていました。そして村上の熱い入団要請に、緒方側もついに入団合意。村上の努力が見事に実を結んで、獲得する事ができました。

 私は指名後入団交渉の席で初めて緒方本人と会ったのですが、頭の良い子だなという印象でした。表面上はおとなしいのですが、内に秘めた野球への熱意はかなり強いものを感じさせ、『将来チームリーダーになれる資質を持っている』と直感しました。

 スカウトは、守備と走塁を評価していたものの打撃に関しては「パワーはないが、シュアな打撃をする中距離打者タイプ」との見方をしていただけに、ホームランも打てる打者になったのは本人の努力の賜物だと思います。

【備前喜夫】
1933年10月9日ー2015年9月7日
広島県出身。旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987〜2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。