◆監督室で二者択一を迫られた

 そして4月28日のヤクルト戦で事件は起きた。当時チームは新加入の(キャム)ミコライオがセットアッパーを務め、サファテがストッパーを務めていた。試合は0対3の劣勢から8回裏に逆転して4対3。最後の9回、普通に考えればサファテの場面だったが、僕は投手コーチの了解を得てミコライオをマウンドに送った。その結果、(ウラディミール)バレンティンに3ランを打たれ、試合はそのまま敗れてしまった。

 試合後、僕は「なんで俺じゃないんだ?」とふて腐れて帰ろうとしているサファテを部屋に呼んだ。そして2人きりで話をした。正直、僕は今でもそのときのミコライオの起用が間違いだとは思っていない。

 だが、サファテは前年の活躍で鼻っ柱が伸びている状態だった。ここで守護神の鼻を折るか、自分が折れるのか……監督室で僕は二者択一を迫られた。結局、僕はサファテに謝った。本心では悪いと思っていなかったが、それを貫くことはできなかった。

 まだ4月でシーズンは始まったばかり。ここで彼との関係にひびが入ることはチームにとって大きな痛手になる。僕が謝ればすべて丸く収まる……そう思ったら「悪かった」と彼に頭を下げていた。

 その晩は家に帰っても一睡もできなかった。「おまえは監督だろう。なんであそこで謝ったんだ?」。何度も何度も自分に問いかけた。ベッドに入ってもいつまでも腹立ちは収まらなかった。

●野村謙二郎 のむらけんじろう
1966年9月19日生、大分県出身。88年ドラフト1位でカープに入団。プロ2年目にショートの定位置を奪い盗塁王を獲得。翌91年は初の3割をマークし、2年連続盗塁王に輝くなどリーグ優勝に大きく貢献した。95年には打率.315、32本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。2000安打を達成した05年限りで引退。10年にカープの一軍監督に就任し、積極的に若手を起用13年にはチームを初のクライマックス・シリーズに導いた。14年限りで監督を退任。現在はプロ野球解説者として活躍中。