サンフレッチェ広島のアカデミー出身の選手がまた一人、ブレイクを遂げた。

 8月にJ1初ゴールを決めてから、次々と強烈な左足シュートが炸裂。幼い頃からサンフレッチェのサッカーに憧れ続けた川村拓夢は、ついに立った夢の舞台への切符をつかみとった。

 ここでは、2022年9月に収録した川村の独占インタビューをお届けする。

◆選手生命を脅かす病気を乗り越え、大きく成長した姿で広島へ復帰

天皇杯決勝では一時同点となるゴールを上げ、ルヴァン杯決勝でもスタメン出場を果たした川村

―安佐南区出身の川村拓夢選手。期限付き移籍先の愛媛から、今シーズン3年ぶりに復帰されました。8月6日の鹿島戦(○2ー0)ではJ1初ゴール、9月3日の清水戦(○2ー0)ではホーム初ゴールを決められましたね。おめでとうございます。  

「ありがとうございます。8月6日は広島にとって特別な日なので、そういう日にJ1初ゴールを決められたのは、広島出身者としてすごくうれしかったです」

―広島復帰1年目で大活躍が続いていますが、愛媛での3年間では、どのような部分が成長できたと感じていますか?  

「愛媛は(当時)J2のチームですが、試合に出られなくても腐らずに取り組むプロフェッショナルな選手がたくさんいました。尊敬できる選手ばかりで勉強になりました」

―2019年は4試合1得点に止まりましたが、2020年には39試合6得点、昨年は34試合8得点と結果を残しています。

「移籍して間もない2019年のキャンプ中に、酷い吐き気などの症状に襲われ、病院に行ったら喘息と診断されたんです。20歳で急に喘息を発症するなんて思ってもみなかったので驚きましたし、自分のサッカー人生はもうこのまま終わるのかなと思いました。そこからずっと自分に合う薬を探し続けて、ようやく最適な薬が見つかって症状を抑えられるようになったので、試合にも出られるようになりました」

―選手生命に関わる大きな試練でしたね。今シーズンの3月には、左膝外側側副靭帯損傷での離脱もありました。

「『これから』という時に病気やケガをすることが続いているので気持ちを切り替えるのが大変ですが、いろいろな方に支えられてなんとか立て直しています。常に感謝の気持ちを持ってプレーしたいと思っています。あとは、あまり深く考えすぎないようにすることも大切。練習以外ではサッカーから離れて、メリハリをつけるようにしています」

―広島復帰の際に、掲げていた目標は?

「1年間コンスタントに試合に出て活躍したいと思っていました。具体的な数字の目標は決めていませんでしたが、ゴールは決めたいと思っていました」

―J2での活躍で、自信があったのでは。

 「『J1でも通用するはずだ』という自信はありました。でも、キャンプの時にみんなのレベルを目の当たりにして、一気に自信は消え去りました(苦笑)。フィジカルが強いし、スピードも速いし、なかなかミスもしない。本当にすごくて衝撃を受けました。今、試合に出て結果を出せていますが、自分がここまでできるようになるとは想像していませんでした。これも、試合に出られない時期に監督やコーチが声をかけてくれたり、自信を持てるように支えてくれたおかげ。それが今につながっているのだと感じています」

―同期の満田誠選手や大迫敬介選手が活躍している姿を見て、焦りはありましたか?

「焦りは全くありませんでした。普通は悔しいと思ったりするものなのかもしれませんが、僕はそういう感情はひとつもなくて、2人が活躍していることがすごくうれしかったです。自分も早く2人に追いついて、一緒にピッチに立ちたいとずっと思っていました。浦和戦(10月1日、○4ー1)で広島のプレーヤーとして一緒にピッチに立ち、勝利できたことが最高にうれしかったです」

―満田選手へのアシストもありました。

「あまり良いパスを出せなかったので、あれは満田選手の力で決めたゴール。僕にアシストが1付いたので、満田選手には感謝しています(笑)」

川村拓夢(かわむら・たくむ)
1999年8月28日生、23歳/広島県出身
183cm・72kg/MF
広島Jrユース−広島ユース−広島−愛媛(レンタル)−広島(2022〜)
愛媛での武者修行を経て広島復帰。長身とリーチの長さを活かしたプレーが持ち味のボランチ。鹿島戦で上げたJ初ゴールでは、渾身のガッツポーズと涙のヒーローインタビューがサポーターの間で話題となった。

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