新井貴浩監督の就任会見から約2カ月が経った。宮崎での秋季キャンプも始まり、来シーズンへの期待はますます高まるばかりだ。広島アスリートマガジンでは、これまで、現役時代〜引退後にかけて新井監督の声をファンへ届ける独占インタビューを掲載してきた。ここでは、2019年1月号『永久保存版 新井貴浩』より、インタビューの一部を再編集して掲載する。

 さまざまな覚悟を持って、8年ぶりに古巣・カープに復帰したかつての4番。 キャンプから38歳という年齢を感じさせない練習量で自らを追い込み、 開幕後は自らの力で再び“カープの4番”に返り咲いた。 必死でプレーするその姿は、選手、ファンの心に響いていた。

2015年、黒田博樹とともにカープに復帰した新井。その翌年、チームは25年ぶりのリーグ優勝を果たすことになる。

◆今の自分を想像できなかった

ーまず、ここまでのご自身の状況をどのように感じていますか?  

「自分がカープに復帰すると決まって開幕前までの間、今の自分がいるというのが想像できなかったですし、数字的な目標も全くありませんでした。なので開幕からこんなに試合に出ていることを想像していませんでしたね」

—8年前にカープでプレーされていたときと違う感覚ですか?  

「基本的なものは変わっていませんが、自分がというよりも、ファンの方に喜んでもらいたいという気持ちが強いですね。カープに復帰することが決まって、想像することができないような声援をずっと送っていただいていますからね。復帰するにあたって、罵声のなかでプレーするのも覚悟して復帰を決断しました。でも、いざ復帰すると温かく迎えていただいて、大声援をいただいて、本当にうれしかったし感動しました。今は自分がそういう気持ちをもらったので、カープファンの方々に喜んでもらえるようなプレーをしたいと思ってやっています。それが一番気持ちで大きい部分ですね」

—8年前と同じ応援歌でファンの方は迎えてくれました。

「それも本当にありがたいですし、うれしかったですね。チームを出ていって、初めて旧広島市民球場で試合をしたときの大ブーイングはすごく覚えています。それだけに昔と同じ応援歌を歌っていただいて、声援をいただけるのは、すごく感慨深いものがありますね」

—カープに復帰するにあたってさまざまな想いがあったのではないでしょうか。

「まず、カープから声をかけていただいて本当にビックリしました。まさかカープから帰ってこいと言ってもらえるとは夢にも思わなかったので、すごくうれしかったですね。一度出ていったのに、帰ってこいと言われるありがたさを感じました。そして決断するまではかなり悩みました。種類は違いますが、8年前に出ていくときと同じくらい悩みました。うれしいし、帰りたいという僕の気持ちがありましたが、客観的に自分を見たときに『いや、一回出たんだから、お前は帰ったらダメだろう。あれだけのバッシングを受けたんだから』という自分がいて、ずっと葛藤していました」

—復帰する決め手となったのはどんなことだったのですか?

「悩んでいたとき黒田(博樹)さんから『お前どうするんだ?』と電話があったんです。『自分としてはうれしいし、帰りたいですけど、帰っちゃいけないという思いもあります』と言ったら、『そんなの関係ないから、帰ればいい』と言葉をもらったんです。黒田さんからもらったその言葉は、決断するにあたって背中を押してくれました」

—黒田投手も同じく8年振りにカープ復帰となりました。新井選手にとってどんな存在ですか?

「簡単に言えば尊敬する先輩ですし、大きな存在です。2月から一緒にやっていますけど、『またカープのユニホームを着て黒田さんと一緒にやってるんだな』と、ふと不思議な感覚になることが半年経った今でもありますね」