広島アスリートマガジンWEBでは、これまでカープやサンフレッチェをはじめ、広島のスポーツの魅力を伝えてきた。ここでは、2022年に特に反響の多かった記事を振り返る。
2008年、横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)からカープに移籍し選手として活躍した石井琢朗は、引退直後もコーチとしてカープに残り、チームのリーグ優勝に大きく貢献した。カープ入団直後に広島アスリートマガジンで掲載された、2009年当時の独占インタビューを再編集してお届けする。
◆気持ちは広島に。
—2008年11月にカープへの移籍が決まり、間もなく春季キャンプが始まろうとしています。心境はいかがでしょうか。
「まだいまいちピンとこないですね。キャンプに入って赤いユニホームに袖を通し、今までとは違う環境で動き始めたときにようやく実感するんじゃないかと思います」
—20年間横浜一筋でやってきたわけですが、気持ちの切り替えはできていますか?
「気持ちは横浜から切り離して、広島に向いているというのは確かです。ただ、話の節々に“うち”という言葉が出てきてしまうんですよね。例えば横浜の内川を指すのに『うちの内川は』と言ってしまう(笑)。その辺は直さないといけないですね」
—やはりそれは時間とともに、という形になるのでしょうね。
「だと思います。だから今までは電話をかけるときも『ベイスターズの石井ですが』と言っていたんですが、最近はチーム名を名乗らずに『石井琢朗ですが』とフルネームで言うようにしています。『カープの石井ですが』と言ってもまだピンと来る人はいないと思うんですよね(笑)」
◆野球への純粋な思い。
—率直にお聞きしますが、移籍の理由は何だったのでしょうか?
「話が長くなってしまいますよ(笑)。ただ、移籍の理由はと言われれば、カープさんが声をかけてくれたから、ということです」
—やはり、決断までには悩まれたのではないですか?
「最初はいろんな葛藤がありました。悔しい思いはすごくあったし、プライドが邪魔している部分もありました。でもその葛藤って、結局は自分で消化しないといけないものだったと思うんです。プライドというものをどこまで掘り下げられるか、どこまで取り除かないといけないのか、ということ。今まで自分が積み重ねて登ってきたところから、どこまで下りられるんだろうという葛藤でした」
—ただ、今回の結論にたどり着けたことは、ご自身でも前向きに考えられたのではないですか?
「こういう選択になって僕はよかったと思っていますし、たまたまカープにお世話になることになりましたが、どこのチームに行ってもそう思えたはずです」
—入団会見の中で、『ゼロからのスタートじゃなくて、1からのスタートにしたい』と仰っていたのが印象的でした。その言葉からは、リスタートの中にもご自身への誇りのようなものが感じられました。
「そうですね。それはプライドのひとかけらかもしれません。僕自身が持っているカープに対する先入観、敵として戦ってきた印象というのはどうしても頭にあるのですが、それは持ち込みたくないと思っていますし、そういう意味ではゼロでもよかったのかもしれません。ただ、スタートラインに立つときに何も持っていないわけではないし、1だったらこれからかけ算すればいくらでも増えていきますが、ゼロだったらゼロのまま。そういう思いはありますね」