カープを支え続けるスペシャリストは、絶体絶命のピンチを救い、チャンスを確実に物にする歴戦の猛者たちばかり。その道を突き詰めてきた選手たちを、まずは攻撃陣から振り返ってみよう。

守備はもちろん、犠打の名手としても菊池涼介の存在は大きい。

【犠打のスペシャリストたち】

菊池涼介
プロ2年目の2013年にセカンドのレギュラーとなると、不動の2番としてバント、右打ちなど“つなぎ役”として活躍している。2016年には史上初の最多安打と最多犠打を同時受賞。2015〜2020年まで6年連続シーズン最多犠打を記録し、昨季終了時点で通算328犠打はプロ野球歴代でも5位だ。【1990年生、東京都出身。通算成績:1408試合出場、打率.271、328犠打(2022年シーズン終了時)】

◆正田耕三
「2番・セカンド・正田」このアナウンスが旧広島市民球場に響き渡ると、“今日もカープの試合が始まる”と高揚したファンも多いはず。1987年に篠塚和典(元巨人)と並んで首位打者を獲得したが、最後はバントヒットを決めて篠塚と同率に並んだほど、バントの名手でもあったことは今でも語り草となっている。【1962年生、和歌山県出身。通算成績:1565試合出場、打率.287、282犠打】

東出輝裕
高卒ルーキーながら1999年に一軍初出場を果たし、セカンドやショートとして活躍した東出。チーム力が低迷していた2000年代のカープにおいて、チーム1のバントの名手としてチャンスを広げる役割を担った。2001年には球団記録となるシーズン49犠打をマーク。現役引退後はコーチとしてカープを支え続けている。【1980年生、福井県出身。通算成績:1492試合出場、打率.268、264犠打】

カープでは代走として活躍したが、他球団へ移籍後打撃が開花し、カープにとっては嫌な選手に成長した福地寿樹。

【代走のスペシャリストたち】

◆福地寿樹
カープ時代は主に代走として起用されており、その瞬足を活かして数々の盗塁を決めてきた。2006年に西武へ、2008年にはヤクルトへ移籍したが、福地が特に進化したのはヤクルト時代。2008年には打率.320、42盗塁を決めるなどリードオフマンとして活躍し、この年と翌年は盗塁王を獲得している。【1975年生、佐賀県出身。通算成績:1009試合出場、打率.272、251盗塁】

今井譲二
1978年オフに中央大からドラフト外でカープに入団。11年間の現役生活での出場は263試合だが打席数はわずか31。その理由はほとんどの出場が、代走での起用だったからだ。1980年代のカープ黄金期、機動力野球を推進する古葉竹識監督の元で通算62盗塁。試合を決める場面ではなくてはならないピースであった。【1956年生、熊本県出身。通算成績:263試合出場、打率.185、盗塁62】