2001年ドラフト4巡目でカープに入団し、捕手として活躍した石原慶幸一軍バッテリーコーチ。25年ぶりの優勝、球団初のリーグ3連覇。記憶に新しい節目の瞬間には、正捕手・石原の姿があった。カープ一筋19年のプロ野球人生。悔しさも歓喜も知り尽くした名捕手の野球人生を、本人の言葉で振り返っていく(過去の掲載記事を再編集)。

2010年に国内FA権を取得。動向に注目が集まったが、権利を行使せずカープと3年契約を結んだ

 プロ9年目の2010年。この年から野村謙二郎さんが監督に就任され、それまで監督を務めたマーティーとは異なるやり方で、チームに新しい風を吹き込まれました。野村さんとは、現役時代に一緒にプレーをさせていただき、僕が入団した時はすでに大ベテラン。僕にとっては、とても大きな存在でした。野村さんからは「もう1人の自分に勝ちなさい」とよく言われたものです。

 野村さんは若い選手を積極的に起用されました。2011年には丸佳浩(現・巨人)、2012年には菊池涼介。そして2013年にはこの二人がキクマルコンビとして若手躍動の象徴となり、2014年に同じ捕手である會澤翼も力を発揮し始めました。こうして野村監督時代に2016年からのリーグ3連覇に大きく貢献する若手が一軍の舞台での経験を糧に力をつけていきました。そういったチームの変化もあり僕自身「成績を残さないと後輩にポジションを奪われてしまう」と思うようになりました。

 また2010年は、僕にとって節目の年でもありました。その年のシーズン中にフリーエージェントの権利を取得。残留するか、移籍するか相当悩みました。カープを愛する気持ちと、自分のプロ野球選手としての評価を聞いてみたい気持ちが、毎日交互にやってきて、答えの出ない日々が続きました。

 悩みに悩んだ僕は、野球人として尊敬する、黒田(博樹)さんと新井(貴浩)さんに相談をしました。すると二人は口を揃えてこう言ったのです。「絶対にカープに残ったほうがいい」。一度カープを離れた二人なので、違った回答があるかと思っていたのですが、想像していなかった答えに「何故ですか?」と聞いてしまいました。

 そこで返ってきた言葉は「離れてみて、より一層わかった。やっぱりカープは良い球団だぞ」。もちろんそれが決定打ではないのですが、鈴木清明本部長にも「お前は必要な選手だ。いてくれないと困る」という言葉をいただき、「カープで勝ちたい。カープで優勝したい」という思いで残留を決めました。今だからこそ言えるのは、この時、残留を決めて間違いなかったということです。なぜなら6年後の2016年、カープのユニホームを着て、夢に描いたリーグ優勝という喜びを味わうことができるのですから。