2023年のドラフト会議でカープが指名した選手は8選手。そのうち6名が大卒選手であり、高校生、しかも野手で指名を受けた選手はただ一人だった。

 父の勧めで野球を始めた仲田侑仁は、一度はプロへの道を諦めようとしたこともあるという。そんな仲田が再び野球に向き合うきっかけになった出来事とは。ここでは、入団直後の仲田侑仁・独占インタビューをお届けする。(全2回・第2回)

入寮直後の仲田侑仁。オフには同期入団の選手たちと宮島観光を楽しんだという

知識を自分で取捨選択しながら、辛い時こそ笑顔で向き合う

—YouTubeなどで知識を身につけながら、試行錯誤をしてプロを目指す上でいろいろな事を試していたのですね。

「そうですね。ただ、困った時にはコーチに聞いたりもしていました。そうして取り入れた知識を自分の頭で整理して、自分のものにできるようにという気持ちで取り組んできました」

—高校時代、印象に残っている試合、シーンがあれば聞かせてください。

「一番のターニングポイントになったのは、3年生の秋に、仙台育英高と対戦した明治神宮大会です。9回まで勝っていたのですが、自分のエラーが失点につながり、逆転負けしてしまいました。それが本当に悔しくて、守備の意識も上げていこう、と考えるようになりました」

—悔しさも原動力となったのですね。先ほど、『知識を自分の頭で整理する』とありましたが、そうした思考はもともと得意だったのですか?

「いえ、どちらかというと『聞き流す』のが得意な方でした。周りから言われたことを、あれもこれも全て取り入れるのではなく、『これは違うかもしれないな』、『それは自分には合わないかもしれないな』という基準を自分のなかで持ちながら取り組んできました。もちろん、直すべき部分はきちんと直さなければいけません。そうした『受け入れるべきところ』とそうでないところを考えるのは、得意な方だと思います」

—仲田選手が沖縄尚学高に進むと決めた理由は何でしょうか。

「一番の理由は、兄が沖縄尚学の野球部に入っていたことです。兄は途中で野球部を辞めてしまったのですが、その分、『自分が沖縄尚学でレギュラーをとるんだ』という気持ちは強かったと思います。ずっと、野球をしている兄の背中を追いかけてきたので、兄の分まで自分が代わりに野球部で活躍したいという思いがありました。沖縄尚学の野球部は、練習もレギュラー争いも厳しかったですが、3年間で人間性という面でも成長できたと感じています。僕は以前まで、うまくいかない時はすぐに下を向いてしまっていました。ただ、『何事も楽しもう』と考えるようになってからは、徐々に結果が出るようになりました。今でも、辛い時でも顔を上げて、笑顔でいようと考えるようにしています。そうした考え方も、野球を通じて身についたものなのではないかと思っています」

—最後に、カープファンのみなさんにメッセージをお願いします。

「1月に初めて大野練習場で合同練習に参加した時、先輩のみなさんは体も大きくて、オーラも全然違うと思いました。自分もそこを目標にしていかなければならないし、そうした先輩たちを追い越せるように頑張っていきたいと改めて感じることができました。これからは、鈴木誠也選手(現・カブス)や岡本和真選手のような、チームを引っ張っていくことのできるような、三冠王を取れる選手を目指していきたいと思います。チャンスに強い4番打者になれるように頑張ります。応援よろしくお願いします」

仲田侑仁(なかだ・ゆうと)

2005年7月31日生、沖縄県出身
右投右打/内野手
沖縄尚学高ー広島(2023年ドラフト4位)