前年(1979年)に球団初の日本一を成し遂げたカープが、勢いを緩めることなく1980年も快走した。
 破壊力抜群の野手陣、第一次黄金期を彩る“投手王国”がスタートするなど投打ともに充実。5月中旬以降は一度も首位を譲らない独走で、セ・リーグ2球団目となる連覇を達成した。

近鉄を4勝3敗で破り、2年連続での日本一を達成。古葉監督が地元で宙に舞った

◆史上最強の呼び声も高い、充実の戦力で連続日本一

 1975年のリーグ初優勝と、1979年の球団初の日本一。長らくBクラスに甘んじていたカープが、この成功体験をきっかけに大きく生まれ変わった。初優勝を果たすまでの25年間でAクラス入りを記録したのは、わずか一度だけ。それが1980年シーズンを迎えるころには、ダントツの優勝候補として名前を挙げられるようになっていた。

 前年は開幕から4連敗を喫する苦しいスタートとなったが、1980年は下馬評通りの滑り出しを見せた。デュプリーのサヨナラ本塁打で5年ぶりに開幕戦を勝利で飾ると、その後も優勝候補らしく貯金を上積み。早々と首位の座をキープし、4月を10勝4敗2分の好成績で乗り切った。

 5月上旬の4連敗で一度、ヤクルトにかわされたものの、13日の直接対決に勝利し再び首位の座を奪回した。山本浩二の通算300本塁打(史上12人目)に、衣笠祥雄の通算1500安打(史上37人目)。好調なチーム状態を象徴するように、打撃陣の主力が次々と個人記録を更新していった。

 前半戦の終了時点でカープが積み上げた貯金は21で、2位・ヤクルトとのゲーム差は7.5。投打ともに盤石といえる態勢を築きあげ、オールスターゲームに球団最多となる8名の選手を送り込んだ。なお、首位での折り返しは球団史上初である。