1980年10月17日にはマジック対象のヤクルトが中日に敗れ、新幹線の車中でリーグ優勝が決まった。

 後半戦に入ってもカープの勢いは持続した。7月31日にはヤクルトをサヨナラで下して、1分を挟んでの地元14連勝でリーグ新記録を樹立(8月19日には地元19連勝で日本タイ記録に)。直後の8月4日には衣笠が飯田徳治(国鉄)の持つ連続試合出場記録を抜き、1247試合連続出場の日本新記録を達成した。

 独走状態を続けたカープは8月24日の試合でヤクルトを下し、87試合目で早くもマジック35を点灯させた。直後に3連敗を喫するなど9月末にかけてややペースを落としたものの、それまで積み重ねた貯金の前では、さしたる問題とはならなかった。

 そして迎えた10月17日。前日に勝利しマジックナンバーを2としていたカープは、午後2時から敵地・甲子園で阪神と対戦。5回まではリードを許したが、中盤以降に流れを引き寄せ6対3で快勝した。

 一方でマジック対象チームである2位・ヤクルトは、同日午後6時半から神宮球場で中日との一戦を控えていた。そのため先に試合を終えたカープナインは、広島へと帰る新幹線の車中で吉報を待つことになった。マジック1という状況で行われた試合は、ヤクルトが1対4で敗戦。午後8時35分に朗報がもたらされると、車中は大歓声に包まれた。

 かつて万年Bクラスと呼ばれたのが嘘のように、カープが2年連続3度目の優勝を達成した。セ・リーグの連覇は当時、巨人以外では初めてだった。充実の戦力を表すように野手では髙橋慶彦が2年連続盗塁王、3年連続打率3割。山本が通算300号、本塁打王と打点王の二冠を達成。投手では江夏豊が2年連続で最優秀救援投手に輝いた。

 前年に続いて第7戦までもつれ込んだ日本シリーズも、最後はカープが地力を発揮した。7回から江夏を投入すると打線に火がつき、衣笠の2点本塁打などで効果的に加点。9回も江夏が危なげなく締めくくり、球団史上初となる地元での日本一を成し遂げた。投打ともに成熟したカープに、もはや死角らしい死角は見当たらなかった。