ユーティリティプレーヤーとして、時にムードメーカーとして、そして4番打者として。キャリアのすべてをカープのために戦い抜いた上本崇司が、今季限りでユニホームを脱ぐ決断を下した。今も多くのファンに愛される上本が、カープでの13年を振り返り、思い出深い試合を語った。(全2回/第2回)
◆ムードメーカーの役割は、野球人生において大きかった
─ここ数年は故障や体のことを気にされてのプレーだったと思います。2020年以降は超ユーティリティープレーヤーとして、存在感を示されていました。
「やっぱり試合に出てなんぼなので、先発で出るという喜びがありましたよね。ただ、本当はワンポジションでやりたい気持ちでした。外野の楽さを覚えると、外野ですね。書いといてください(笑)。内野ってキャッチャーのサインも見ないといけないし、牽制もしないといけないし……。外野はインパクトだけ集中すれば良いので。内野の大変さを知っているだけに、楽だなと感じてしまいますね(笑)」
─13年前の弊誌ルーキーインタビューでは『背番号0番は、木村拓也さん(元カープ)のイメージがあるのでうれしいです』と話されていましたね。
「そうですね。木村拓也さんみたいな、そういう選手になることを求められているんだなと当時から感じていました。目指したわけではないですが、最初は走塁・守備から入ったのでそうなるんだろうなと思っていました」
─プロ野球選手として生き残っていくために、考え方を変えたタイミングなどはあったのでしょうか。
「正直言うと、1年目くらいでレギュラーは無理だと思ったんです。ただそういう思いがあったからこそ、プロの世界でどうやって生き抜くかを考えるようになったと思うので、振り返ってみれば良い判断だったのだと思いますね」
─2017年の2連覇の頃からチームのムードメーカーとしての役割で一軍での出場が増えてきました。ある意味ご自身の目標ではないかもしれませんが、狙い通り立ち位置を固められたという感じでしょうか?
「自分で固めたというよりは、緒方(孝市)監督に代わってから、盛り上げ役が必要という雰囲気があったのですが、あれが大きかったなと思います。でも、あれがなかったら生き残れていなかったと思います。あれが僕の野球人生においてもものすごく大きいものだったと思います」
─13年間の野球人生の中で、1番印象的な出来事は何でしょうか?
「4番で2安打を打ったことですね(2023年7月22日マツダ スタジアム中日戦)。ちょっとした自慢ですね。、単純に4番目を打つ人という感覚だったのであれですけど、側から見たら4番打者ですからね! でも初めて4番になった日は絶対ヒットを打たないといけないと思っていましたね。だって打たなかったら批判がすごいじゃないですか。そして4番にした監督も批判されるので、それは嫌でした。そういうプレッシャーはありましたが、4打数2安打だったので良いでしょう(笑)」
─プロ野球選手だった13年間、カープというチームはどんな期間、存在でしたか?
「野球選手は華やかに見えますが、しんどいんですよね。まあどの仕事もしんどいんですけどね。もちろん楽しい方も幸せな方もいらっしゃいますが、僕はしんどかったですね。ただ、他のチームを見ていないので分かりませんし、みんなはどう思っているかはわかりませんが、僕の立場からしたら、いろんな人に支えていただきました。先輩・後輩、裏方さん、トレーナーさん、コーチ、監督……。本当に良いチームだったと心から言えます」
─最後に、学生の頃から野球を始められて、現役としては区切りとなります。どんな野球人生でしたか?
「間違いなく僕自身の力ではないので、ありきたりですけどやっぱり人に恵まれた野球人生でした。あと、“お笑い枠”は本当に頑張ったなと思うので、その面は褒めてあげたいですね(笑)」
■上本崇司(うえもと・たかし)
1990年8月22日生、広島県出身
広陵高-明治大-広島(2012年ドラフト3位)
プロ入り当初は下積み生活が続いたが、3連覇時代は代走等で存在感を発揮。2020年からは内外野複数ポジションを高いレベルで守れるユーティリティープレーヤーとして欠かせない存在となった。2022年には規定打席不足ながら打率3割を記録。新井カープ初年度の2023年はつなぎの4番として活躍。2025年限りで引退。プロ13年間で562試合出場、844打数211安打、3本塁打、50打点、打率.250を記録した。

