これまで数多くの名選手がカープを支えてきた。ここでは、今なお多くのカープファンに愛されるレジェンドたちが語る『舞台裏』を紹介する。
ここでは1980年代のカープ黄金期を支えた名投手・大野豊氏のカープ入団の裏側にあったエピソードを、大野氏自身の言葉で振り返っていく。一度は銀行員として就職した大野氏が、『特例だった』という入団テストに臨んだその裏側とは。(『広島アスリートマガジン』2004年12月号掲載記事を再編集)
◆春のキャンプで臨時に入団テストを受け、ついにプロ入り
高校卒業後、私は出雲市信用組合に就職した。プロ入りへの思いがなかったわけではないが、ここまで私を育ててくれた母をひとり残すわけにはいかないという思いが強かったのだ。私の地元である島根県には硬式の社会人チームはなかったが、軟式であれば出雲市信用組合が強豪だったということもある。
練習は日常業務の終了後で、個人の時間を使ってトレーニングもしっかりやった。背番号は『28』。後にカープで私の師匠となる江夏豊さんが、当時阪神で着けていた背番号である。
投手として憧れの存在は、やっぱり江夏さんだった。ストレート一本で向かっていく若い頃の江夏さんが、ほとんど真っ直ぐしか投げられない私には憧れの存在だった。
サラリーマン3年目の1976年秋、仕事をしながら軟式で野球を楽しんでいた私に、それまでは想像すらしなかったプロ野球への道が急激に開けてきた。同地区の平田高校出身で1学年下の青雲光夫投手が、阪神の入団テストに合格したのだ。高校時代何度か対戦してたことがあり、彼の事はよく知っていた。

