2024年現役ドラフトでカープに入団した鈴木健矢。日本ハム時代にアンダースローに転向したことで開花し、カープ加入後は救援、先発を問わずフル回転で活躍し、ブルペンを支えてきた。8月19日の中日戦では今季2度目の先発登板で5回1失点と好投し、今季初勝利を挙げた。
カープでは珍しい変則右腕としても注目を集める鈴木だが、球団史を振り返ると、さまざまな変則右腕が存在した。ここでは、2000年代初頭にサイドスローに転向して存在感を見せた林昌樹の入団秘話を振り返る。
1997年ドラフト3位で入団後、中継ぎとして頭角を現した林は、いかにしてブルペンを支える存在となっていったのか。カープの名スカウト・備前喜夫氏の証言をもとに、その入団の舞台裏を紐解いていく。
(※広島アスリートマガジン2006年掲載記事を再編集)
◆2度目に見たときの成長度が指名につながった
私が始めて林を見たのは、彼が高校3年生のときです。当時はスリークォーターよりも少し上から腕が出てくるようなオーソドックスなフォームでストレートとスライダー・チェンジアップ・シュートの4種類を投げていたように思います。
林は8年間カープでプレーしてきましたが、その中で最も大きな出来事は3年目の終わり頃にフォームをサイドスローに変更したことでしょう。
高校卒業後、プロ入り3年間は主に下半身の強化に取り組みながら、しかしわずかに1勝。「何かを変えなければいけない」と思っていたのかもしれません。
そういうときに清川栄治二軍投手コーチ(当時)にサイドスロー転向を勧められたのです。林は1週間以上悩み続けたと聞きました。投手にとってこれまで築き上げてきたフォームを変更する。つまりゼロから始めるということはとても勇気がいることです。ですから、それくらい時間がかかっても仕方がないと思います。
変更後は、秋季キャンプで清川コーチと共に200球の投げ込みやネットピッチングなどで身体にフォームを覚えさせる日々が続きました。サイドスローというのは身体を横にひねるため背筋と胸の筋肉がより強くなければなりません。加えて膝の柔軟性も必要となります。
そのため投げ始めた当初はこれまで痛くなったことがないところが筋肉痛になったり体重が減ったりと、かなり苦しい思いをしたと思います。しかし、フォームを変更したことは良かったと私は思います。プロの世界で成功するためには他の投手と違うものを何か一つでも持っていることが重要です。当時、カープの中で横から投げていた投手は小山田(保裕)くらいだったことを考えると、サイドスローに転向し他の投手にはないものを手に入れたことはとてもよかったと思います。
【備前喜夫】
1933年10月9日生〜2015年9月7日。
広島県出身。
旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987〜2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。
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