カープの歴史を彩ってきた、歴代の監督たち。選手としてその指導を受けたOBたちは、当時の監督についてどんな思い出を持っているのだろうか。ここでは、OBが語った往年の監督とのエピソードを改めて紹介する。

 1975年の初優勝を含む4度のリーグ優勝、3度の日本一を達成した古葉竹識監督のもと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した山崎隆造氏。「古葉さんから基本の大切さを教わった」と語る山崎氏が、名将との思い出を振り返る。

『レジェンドゲーム2025』に、懐かしいユニホーム姿で出場した山崎隆造氏

◆監督から基本の大切さを教わり、先輩の背中を見て育った

 私がプロ入りした当初の監督が古葉竹識監督でしたが、本格的に古葉監督の元でプレーしたのはプロ2年目の1978年です。右打ちだった私はスイッチヒッターに挑戦することになりましたが、それを進言してくれたのが古葉監督でした。

 古葉さんは普段からしっかりと一人ひとりの選手を見ている監督でしたので、私たちには練習中も試合中も絶対に気を抜けない雰囲気が常にありました。後に聞いた話では、『監督というのは選手をずっと見続けるのが仕事だ』と仰っていたようです。選手を見続けることで、ちょっとした仕草からも調子を見極めていたのだと思います。

 また古葉さんからは、基本の大事さを教わりました。『プレー中は絶対に球から目を離すな』とよく言われたことが印象深いです。

 古葉野球を表現する言葉はいろいろありますが、私は『緻密に相手のミスを突き、足を使った攻めを多用して巧みに得点を奪う、そして投手を中心とした守りの野球』だったと思っています。

 攻めにおいて機動力を重視される采配でしたので、俊足の選手であれば、当時の私のように若手であっても『チャンスがあればフリーで盗塁を狙え』という方針。ですので、そういう状況で走らなければ、「何故走らんのだ!」と叱られることも、しばしばありました(苦笑)。

 いわゆる黄金時代と呼ばれた時代を振り返ってみれば特に古葉監督時代、コーチ陣はみなさん監督を慕っていたイメージがありました。古葉さんが退いたあと、監督に就任した阿南(準郎)さんが『古葉野球を継承する』をおっしゃったのも納得できます。

 それだけ当時はカープ野球がはっきりしていて、選手としても先輩の背中を見て後輩が育つという伝統がありました。そして首脳陣と選手が同じ方向を見て、常に一丸だったからこそ、常勝軍団を形成できていたのだと思います。

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