長年チームの屋台骨を支えてきた石原慶幸が、惜しまれつつカープのユニホームに別れを告げる。ここでは、広島アスリートマガジン上で語った本人の言葉と共に、2008年以降の活躍ぶりを振り返っていく。

ルーキー時代から一貫して「チームの勝利が最優先」という考えを崩さなかった石原慶幸選手。

◆37歳にしてゴールデン・グラブ賞、ベストナインを獲得

 2008年に再び正捕手の座を奪い返した石原は、そこから4年間にわたり100試合以上に出場し、扇の要としてチームを牽引した。2012年はケガの影響で出場数を減らしたが、2013年は前田健太(15勝)、バリントン(11勝)、大竹寛(10勝)、野村祐輔(12勝)の“10勝カルテット”をリードし、守備面で存在感を示すなど1997年以来16年ぶりとなるAクラス入りに貢献した。

 2014年に入ると、それまで先発マスクを争っていた倉義和と入れ替わる形で會澤翼が台頭。同年打率3割を記録した“打てる捕手”を前にして、石原はプロ13年目にして初めて打率が2割を切る(.192)など苦しいシーズンを送ることとなった。

 黒田博樹や新井貴浩の復帰で優勝の機運が高まった2015年は、球団捕手として単独1位となる通算896安打を達成。スタメンマスクは會澤に譲る機会が増えたものの、巧みなリードで新加入したK.ジョンソンに最優秀防御率(1.85)のタイトルをもたらした。とはいえ、肝心のチーム成績は再びBクラスに下降。リーグ2位のチーム防御率(2.92)に貢献しながら、シーズン後には苦しい胸の内を口にした。

「いくら頑張ったと言っても実際に優勝できていないわけですから。優勝を現実のものとするためには、もう一個も二個も上のレベルにいかないといけないということだと思っています」
(広島アスリートマガジン2015年11月号)

 しかし、黄金期再来の兆候が見えていたチームは、2016年シーズンを境に一気に覚醒の時を迎えた。若手とベテランが絶妙にリンクし、他を圧倒する成績で25年ぶりのリーグ優勝を引き寄せた。打撃力がクローズアップされることが多いが、この年はチーム防御率もリーグ1位(3.20)を記録。會澤を抑え再び100試合以上に出場した石原が、37歳にして初のゴールデン・グラブ賞、ベストナインを獲得した。

 2017年以降は正捕手の座を會澤に譲ったものの、主にジョンソンの登板時に先発マスクを被り球団史上初となるリーグ3連覇に貢献。史上189人目となる通算1500試合出場、また史上292人目の通算1000安打(捕手としては球団史上初)と節目となる記録も達成した。

 2019年も引き続きジョンソンの先発時のみマスクを被る形となったが、前年限りで引退した新井貴浩に代わる精神的支柱としてチームを後押しした。本人は否定するが、若手選手にとって良い手本となっていたことは間違いない。

「最年長という意識はそんなにありませんね。チームは若い選手が多いですが、それぞれがしっかりしていますし、責任を持ってプレーする選手ばかりですからね。僕の立場からすれば、若いみんなと一緒になって戦っているという感覚です」
(広島アスリートマガジン2019年7月号)

 たとえ出場機会が限られても「若手捕手が出場する試合も日々勉強だと思って見ています」と、最後まで向上心を失わなかった背番号31。最後までチームのことを最優先に考えてきた男が、プロ19年目にしてユニホームを脱ぐことを決断した。